相手に伝わるには、自分のハートが開いている必要がある。
そうじゃないと、言葉が相手に飛んでいって、浸透しては届いていかない。
頭で考えた言葉は相手には伝わっていかない。頭では理解はしてもらえるだろうけど。
思考と思考のコミュニケーションは、ただの論理の整合性をやりとりしているだけになる。
そこに信頼とか、尊重とか、愛情とか、そういうエネルギーの交換がないので、満足感は得られない。
伝わらなくさせるのが、自分の中にある滞りだ。
ハートではなく、頭にしか居させなくさせる原因はたくさんある。
何を感じているのか分からなくさせるものがたくさんある。
劣等感。
責任感。
義務感。
恥ずかしい気持ち。
他人と比べること。
プライド。
正義感。
などなど。
そういうものを背負って私たちは生きている。それが、相手に伝わらなくさせるもとになっているとは気づかずに。
私も話す相手に、至極当然のことのように自分を主張していたことがあったけれど、それが、正論で、ハートがないときには、とっても相手に突き刺さることを経験した。
最初は、自分がなぜ、人を傷つけているのかが分からなかった。
怒っているわけでもないし、冷静だし、客観的だし。。
わからない。
かなり悩んだ。
でも、自分の感じていることを声にだしたり、少しずつ伝えて練習しているうちに、ハートが乗った言葉を理解し始めた。
最初は、何がハートか分からなくて、何が感じていることなのかよく分からなくて、もどかしかった。
でも、ハートの自分も、頭に居る自分も、両方の自分がいることにだんだん気づくようになっていった。
特に、アイスクリームを食べたくなる自分は分かりやすかった。
頭の自分は、甘いものは控えておこう、とよぎる。ハートの自分は、有無を言わさず、食べたいから食べる。理由はいらな~い。
だってアイスクリームが好きなんだもん。
ご褒美のアイスクリームを食べるときには、ハートが開く。
その時のご機嫌ちゃんの声は相手によく届く。
なんでだろう。。。不思議だった。
今では頭の自分と、ハートの自分の区別がつく。でも、頭先行になったときには、
立ち止まり、ハートに手を当てて、感じることをあえてする。
「自分は今何を感じているんだろう?」
この問いかけを、なるべくいつもするようにしている。
お笑いを見て、わっはっはって明らかにおもしろい、とかじゃないんだよね。ハートの声って。
だから、分かりにくい。
いつしか、頭の思考に持っていかれてしまうことも度々ある。
だから、何回でもハートを感じる。
そうこうしているうちに、分かっていくものか、と思える。
自分が自分に素直になればなるほど、ハートの自分が前にでてくるから。
相手の反応の中に、言葉の中に、自分の素直さが現れるから。
最近、人とのつながりを感じる。
うれしいし、楽しい。
