この期間、シンプルな自分って何だろうと、久しぶりに葛藤を重ねて、時間を過ごしてきました。



仕事も、ブログも横に置いておいて(放ったらかしにしてでも)、やっておきたかったこと。



それが、ハートからのやりたいことにただ、素直に行動すること。



食べるのも、寝るのも、ブログも、仕事も、したくなったときにしかやらない。



今までの自分が、習慣でそうしていることなのか、周りに合わせているのか、思考で考えてしているのか、それとも、自分が本当にそうしたいからそうするのか。




一時期は、人にも会いたくなくなりました。人に会ったら、これまでの習慣で、人に合わせる自分もでてくるからね。それもまた自分なんだけれど、これからは、そんな自分にも100パーセント気づいて生きていたい。




自分でない自分と、そうでない素の自分の区別は、ハートでしか分からない。



始めはハートからと思っていても、思考で考えてそうしている行動がほとんどで、思考や習慣、そしてハートの区別がとってもむつかしかった。



一番気づかずに、習慣になっていたことは、自分の悲しみを我慢してきたこと。安定した自分を良しとしてきたので、不安定な自分が出てくるのを抑えていたこと。




そうしたときには、胸がキュッと締め付けられるように狭くなって、ハートの自分が閉じてしまっていました。

 



悲しいと思っていたことが、実は小さなころからたくさんあって、悲しみに蓋をして、踏ん張って、頑張ってきて、そんなことがたくさんあったんだよね。




ある時、ハートが開いたら、久しぶりに小さな頃の僕が顔を出して、胸が震えて、ワーッって泣いた。




「分からんもん!そんなこと分からんっ!」エーンって。



ハートの声っていうのはねえ、小さい頃の自分の声。



喜怒哀楽を表現していたときの自分が、僕にも、みんなの胸の奥にも、必ずいるんだよね。



強くないと生きてゆけないというプライドが、そのハートの自分が出てくるのを妨げてきた。


でも、その小さな自分が出てくるのを本当に許して、受け止めてあげると、自分でも愛おしくなるような自分が居るんだよ。



キラキラした目で、すごい、すごいなって感動し続ける自分。カッコイイものが好きな自分。


毎日、あれカッコイイ!すごくきれい!これすごい!って感じ続ける自分。



毎日がキラキラ輝き出して、それでいいって思える自分。




でもね、ちょっとした隙に、思考で論理的に考えた自分を演じだしたり、習慣や周りに合わせだしたりすることをすると、スッと心は閉じちゃう。




心が閉ざされたときに、ストレスが溜まって、それがカラダの循環を止めちゃうんだよね。病は気からっていうけれど、まさにその通り。




言葉でいうと、そんな単純なことなんだけれど、健康になるには、演じている自分を解き放って、ハートを生きたときに初めてなれる。



カラダへの理解もどんどん変わっていく。伝えたいことも変わっていく。



治癒っていうのは、要するに、ハートの自分でいる、喜びの力なんだ。



そして、私がハートでいるときに、あなたの治癒を引き出す力も、最大になるってことでもあるんだよ。



あなたがハートでいるときに、あなたも、あなたの周りの人たちも、世界もまた、癒されるってこと。



だからね、それを伝えていきたいって思うのです。