理は、どこかに存在する。

 

 

命には、バランス、秩序、循環、調和などが存在する。

 

 

それが一般公式の一つ。数の公式にはなってないけれどね。

 

 

自然界には、それらがないと成り立っていかないと分かるもの。

 

 

 

例えば、そこに咲いたタンポポの、花びらの並び方は、種としてのタンポポの一般公式が、一輪の経験としてあるもの。

 

 

 

花びらの枚数、並び方、色などは決まっているかも知れないけれど、一輪毎の形、大きさ、高さは違ってもいいよ、って。

 

 

 

ボルダーの山を歩いていたときに、同じ種類の花がたくさん咲いていたのだけれど、一個として同じ個体は存在していなかった。

 

 

 

一般的なお決まりはあっても、実際に存在すると、個性があふれる。それが命の神秘だと思う。

 

 

 

個性あふれる花の一輪一輪に、味があって、写真を撮るのが楽しくて仕方なかったなあ。少し歩いては、立ち止まって、となかなか前に進まなかった(笑

 

 

 

種の具体的、経験的な現象が、花の一輪、一輪に存在していた。

 

 

 

物理では、目にみえない宇宙の起源を公式で出して、それを現実で実験している。

 

 

 

時々みる、長い地下トンネル加速器のニュース。素粒子同士をぶつかり合わせて、ビックバンの後に起こることを調べようとしている。

 

 

 

一般論を経験に落とし込もうとしている。

 

 

 

どこかに一般論があって、私たちは、それを経験していることを証明しようとしている。

 

 

 

一般論というのが、

 

y=ax+b のようなもので、

 

aやbには1でも100でも、何を入れてもいい。

 

 

人にも、骨格があり、筋肉があり、内臓、神経、膜構造などが、秩序どおりに並んで、バランスよく、調和して、循環して、存在する。

 

 

 

細胞レベルでも、組織レベルでも、人レベルでも、社会レベルでも、どこかに、一般公式は存在するのだろう。

 

 

 

そして、健康や、動きにも。

 

 

 

人間の健康や、動きに当てはまる一般公式がどこかに存在していて、僕たち一人一人は、人の動きである限り、何をどうやって使ってもいいよって。

 

 

y=ax+b の中だったら、どんな数字を入れてもよいですよ、というふうに。

 

 

しかし、人の可能性をどんどん引き出していくと、もっと違う公式が現れるのかもしれない。

 

 

y= ax³+bx ²+cx+b のように。

 

 

ある人は、y=ax+b の世界に生きながら、y= ax³+bx ²+cx+bの世界にも居ることができる、みたいな。

 

 

y=ax+b に生きている人には、y= ax³+bx ²+cx+bは、想像できない世界。

 

 

個人的に、きっとハイパーなy= ax³+bx ²+cx+bの公式の中で、生きている人はいるんだろう、と想像を膨らませる。

 

 

 

そして、一般公式ってなんだろうなって、考える。

 

 

 

ハイパーなものも説明していて、多くの人にも当てはめられる、一般公式。みんなでシェアできるもの。

 

 

 

一人の経験は、個体のユニークな経験として留まるけれど、もしそれを一般化できたら、尚良いのではないかな。

 

 

 

みんなとはいかないけれど、多くの人の健康に役立つもの。個人の可能性を引き出す手がかりになるもの。

 

 

 

東洋では、神秘は、ユニークな個々の経験として存在しているけれど、西洋では、公式を求められる。

 

 

 

公式まではいかないまでも、言語化して、論理化する、みたいな。

 

 

 

おそらく、一般論でいう、原理原則っていうのは、むつかしいものではなくて、言葉が話せたら、分かる、みたいなそんなものになればいい。

 

 

 

感じる深さは人それぞれなので、簡単な言葉やリズムでしか、共有はできないのかも知れない。

 

 

 

シェアできて、健康に役立つ!自分を知るのに役立つ!健康への方向性が分かる!生きやすくなる!みたいにね。

 

 

 

一般的な原理原則はあって、いいよ。でもそれは、自分のユニークさを、理解するためのものなんだ。あなたは、その個性のままでいいんですよ(^-^)。

 

 

 

そんなことを表現できたらいい。

 

 

 

自分がカラダを通してチャレンジして表現しようとしているのは、こういうことかも知れないな、なんて思ったりする。