生きる。

 

 

といっても、生き方は、十人十色。

 

 

アメリカには、スピリチュアリティ―を追っかけている人が結構いる。

 

 

でも、自分のカラダをないがしろにしている人が少なくない。

 

 

というよりも、身体の何を感じているのか、に気づいていない。

 

 

愛があって、とても良い人達。けれど、カラダを否定している人には、深い影があるように思える。

 

 

カラダに触れても、感じる、ということをどこか別の次元でしているよう。

 

 

もう30年以上も、ヒーリングをしている方。

 

 

施術後、カラダで起こった変化を感じられていなかった。

 

 

おそらく、生き方が関係している。

 

 

この世界に根差した生き方は、カラダを通してしかできない。

 

 

でも、カラダを軽く見て、カラダは結局は幻想、のような考え方をどこかでしているのではないか、と感じる。

 

 

悟りとか、そういうものを追及するのは良いけれど、僕には何かしっくりこない。

 

 

もしも、地にカラダが根付いた上で、スピリチュアリティーや、悟りなどの気づきに励まなければ、それは、歪んだパターンを育てることになる。

 

 

それはカラダには重い。鎧のような硬さとなって、出てくる。硬さや、歪みでカラダはそれを表現している。

 

 

悟りとか、そういうものに邁進するのはいい。でも、カラダと一緒に、やってくださいな。

 

 

そうしたら、応援できる。

 

 

カラダを尊重して生きる人は幸いだ。気づきが知恵となって、カラダに蓄積していくから。

 

 

年齢を経れば経るほど、魅力的になる。

 

 

そういう齢の取り方をしていただきたいなあと思う。