アメリカでは、セッションを尋ねられたときにだけしています。何も宣伝はしていません。

 

 

徐々に依頼を受けるようになってきました。

 

 

特に何をするかは、会うまで分からないので、セッションで何がでてくるかを楽しみにしながらしています。

 

 

何も期待はしません。

 

 

クライアントさんが増えるのも、セッションの結果も期待していません。

 

 

 

何をするかも、最近説明するのがおっくうになってきて、詳しくは話しません。

 

 

 

頭で理解しようとしても分からないから、一回受けて体感してもらえればいいと思います。

 

 

 

説明することは、これだけ。

 

 

人には生来持っているカラダの知性があって、それを引き出していきます。自己変容と健康のために。

 

 

僕らのハートが開くのを妨げてるブロックを取り除いていきます。

 

 

受ける人のハートが開いて、可能性に対してオープンになれれば、今ある症状は治る方向へ向かいますよ。

 

 

こんなことを説明してからさっさと始めます。

 

 

 

反応と反応は、心の懐の広さと、人の愛情の深さで決まると思うので、感覚には広がりと、深さが必要なんだな、と思います。

 

 

 

そして、ツールは愛を乗せて運ぶ道具。愛を乗せるには、具体的なツールが必要なので、技術もツールボックスも必要です。

 

 

 

ツールを遣いこなせるよう、「手」を遣って愛を乗せる方法を基礎から順番にやってきたのだなあと思う。

 

 

 

でも、もうそれだけに制限することもなくなりました。

 

 

 

手、言葉、眼差し、動作などすべての感覚を使って、伝える。

 

 

 

ある人は、トラウマの傷を解放して涙し、ある人は、動かなくなっていた箇所に動きを取り戻し、あるいは、閉じていたハートが開いた感覚を知るなど、、、いろいろなことが流れの中で起こります。

 

 

 

 

動いてこない人には、動いてこないことを伝えます。動いていない感覚から言葉を探して、それがもとに会話になり、そして、気づきがあったときに、カラダが動き始めます。

 

 

 

耳を澄まして深く聞くと、カラダはヒントをくれます。

 

 

 

動きがなかったら、そのセッション中には、まだ開く準備段階だということで、それも無駄ではありません。逆に動きがなくても揺さぶることをしないと、動く段階までたどり着けないから。

 

 

 

自分から何かをするのではなく、最近は何も枠を設けずやっているので、そういうワークになっています。

 

 

この方が楽だと感じます。

 

 

 

セッションはアートで、私がアーティストで良いのだと気づきました。

 

 

 

たまたま今は、作品の形がセッションで、カラダと健康からの視点から、というだけでいいのだと。

 

 

 

その作品は、受け手がどうなりたいかで、決まります。

 

 

 

クライアントは、ほしいところに手が届いてくれることを実感してくれます。目を丸くして、目を輝かせて、ありがとう!と絶賛してくれています。

 

 

 

アートは、関係の中でコミュニケーションが起こり、相互に響き、流れの中で、体験として作られていきます。

 

 

 

響いているので、自然にセッションを受けたい人が増えていくのだと思います。

 

 

 

探していたものが見つかったと、言ってくれます。

 

 

でもそれは、その人の中で閉じこもっていた愛なんだな、きっと。