何が人を動かすのだろう。


それは、その人の「生きざま」であってほしいと思う。


例えば、ロルフィング。


ロルフィングという施術方法に惹かれて、ロルフィングの施術を受けることを決めた、としよう。



しかし、ロルフィングは、本当に効くのか?



今、日本でも「筋膜」という言葉が一般的になってきた。うれしい限りだけれど、それだけ誰もかれもが、筋膜という言葉を使うようになったとも言える。


筋膜の先駆けといえば、ロルフィング。


だから、ロルフィングを受けてみたい。そういう人が、増えているのではないかと、ここアメリカから想像する。



でも、筋膜がどうやったら伸びるかは、筋膜を科学的にのみ捉えている人には、理解できていない。



膜構造は、ベクトルと深さによってストレッチされる。それは、そう。



しかし、それは力任せでは達成できない。



人のカラダや細胞がもつ、原始的感覚ともいうべき、命の感覚がある。それに共感し、呼応しながら施術をすることが、自ずと深さとベクトルを決める。


では、その感覚は見えるのか? 


見えない。


それは物なのか?


物でもない。


感覚と感覚の共感。


施術者のやり方がどうのこうのではなく、受け手との共感の中で、手段と方法、ベクトルと深さが決まる。



ロルフィングという料理のレシピがあれば、それを料理する、料理人の生きざまと、真心がないと、ロルフィングは成り立たない。



ロルフィングに限らず、それは、すべてのジャンルにも同じことが言える。



だから、自身の満足や、職業としてロルフィングをやっている施術者ではなく、自分(受け手)のことを第一に考えてくれる施術者を見つけるのがいい。



ロルフィングは、ラーメンのようなもの。



ラーメンといっても、豚骨から、鶏ガラから、煮干しなど、何からだしをとるのかでベースになる味がそれぞれに異なる。それに加え、具の種類も質も異なる。



何をどうラーメンと呼ぶのかは、料理人次第なのだ。でもラーメンを食べたかったら、ラーメン屋さんにいく。



ラーメン好きなら、例え場所が遠くても、値段が高くても、ラーメン屋さんの中でも、こだわりがあっておいしい、真心のこもったラーメン屋さんに行きたいでしょう。ロルフィングもそれと同じようなもの。



そして、どの分野のものを選ぶにしても、みんな同じ。遠くても、値段が高くても、おいしいラーメンを食べたら、その味は忘れられなくなる。良い思い出となる。



ロルフィングは、自分のカラダと健康に関することだ。自分の命に関することだ。一生に一度受けるとしたら、選びに選んだ方がよい。



物にしても、人にしても、何か自分が選ぶときには、心のこもったものが良い。そうあってほしいと思う。



そして、心のこもったものを選択するには、自分がそれを感じる、共感力もまた必要だということ。



だから、人の「生きざま」を見て、いいな、と思えるかどうかだ。



その人がどういう思いで、カラダに触れているのか。



カラダを理解し、そういうカラダをし、それを生きているかどうか。



正直か。誠実か。謙虚か。優しさと、自分のことを思ってくれるからこその厳しさがあるか。広い心と、広い視野、そして同時に深さを持ち合わせているか。自分と向き合ってくれるか。



そうして、生きざまで選んだら、きっと良いご縁ができる。