心が自虐的な人は、カラダに不調をきたします。心のストレスが、自分のカラダを攻撃することにつながります。


例えば、他人を信用して裏切られた、という同じ経験をした2人を例に挙げてみます。


Aは、裏切ったのはあいつだ。あいつのせいだ、と他人のせいにします。


Bは、起こったことに対し、自分のみる目がなかった、と反省します。


起こった出来事は同じですが、A,Bの反応の仕方は違います。


ストレスをカラダに溜めるのは、Aですよね。


Aは、他者が悪いとすることで、期待を裏切られた悲しみや怒り、怖れなどの感情がでてきてもおかしくありません。


Bは、自らを反省していますから、自分の見る目をさらに磨けば同じ事はおこりにくくなる、と考えることでしょう。


何が反応を違ったものにしているのか。


それは、AとBの世界観です。考え方とか、信念とか。


Aは、期待し、裏切られる、という経験を形を変えて経験すればするほど、人は信用できない、と心が頑なになっていく可能性があります。


そのうち、カラダには怒りや悲しみが溜まっていきます。それがストレスとして蓄積し、年数をかけてカラダをむしばみ始めます。


Bは、他者を見る目を養って、信用がおけるに値する人を見分けるのが上手くなっていくでしょう。そうして人は信用できる、という体験を増やしていくことでしょう。


そもそも、裏切られた、という気持ちは、自分が期待することによって起こると分かれば、裏切られる心配もなくなります。


ここで、その他者が「自分の親」だったら、と考えます。


子供は選択肢が少なく、逃げ場もないので、Aのような体験をする子供は多いと思います。


幼少期に繰り返される体験が、その後の経験を決めてしまうことは多く起こるのです。


Aのように、他人は信用できないものだ、と頑なに思うと、それと同じ事が永遠に繰り返し起こります。


なぜなら、信用できる人が周りにいても気づかないからです。信用できる人が助けの手をさしのべても、疑ってかかるので、しまいには信用できるはずの人の好意も遠ざける結果となります。


どこかで自分の考え方や信念が変わらなければ、ずっとカラダに溜まった感情がストレスとなり、それを抱えたまま生きることになります。


子供の頃はどうしようもなかったことがあったとしても、大人になってそれに向き合い、変えて行くのは自分です。


もし、ストレスが大きくなって、それがカラダに蓄積して痛みや機能障害などの症状として出てきたら、それが大人になってから自分が乗り越えるテーマ、となっていくのだと思います。


たくさんの気づきと共に、いつか、
他人も自分も虐げることがなくなり、自分の人生を生きていけるようになるまで、そのテーマは続くだろうと思います。


まずは、もう一度見る目を養うために、自分の感覚を取り戻すためのチャレンジがやってくると思います。


相手を感じることが出来なければ、その人が信用できるかどうかが分からないからです。


相手を感じるには、自分にその感覚がなければ感じることができません。


だから、自分が感覚できるようになることが大切なのです。


ところで、感覚できる、というのも、海の深さのようなもので、表面上のものから、何千メートル級の地球で一番深い、海溝のところまで深さがあります。


だから少しずつ、感覚することを上手くなっていくことが大切なのです。



感覚できるようになったら、感覚できたときの選択肢が現れます。感覚できないときには、無意識に反応していたものが、そうでなくなります。


そのときに、自分で決心するです。自分は何を選びたいか。どう生きたいのか、そう自分に問いかけ続けるのです。


そして、自分で決めたら、前に進むのです。人生を、自分がやるのです。