私自身も、「体をあずけてゆだねること」はチャレンジです。
そこに無意識の抵抗があります。
例えば、背骨をもっとぐにゃぐにゃになるくらい柔らかくしたいけれど、柔らかくなる感覚の深さに届かない自覚があります。
体が柔らかくなるには、委ねることができることが先決です。自分のカラダに抵抗があることが、柔らかくなることをさせないからです。
一体、「ゆだねられない」自分はどこから来るのか。
体の固さは、心の固さ、そして頭の固さ、とも言えそうです。
例えば、私の体の中に、まだ未消化の感情が残っているとしましょう。それが悲しみや怒りであったりと。
その感情は、自分の意識では認識できないものです。もっと深く、無意識にあるものです。
体は自覚できない、無意識下の感情も内包しています。
セッション中、私が受け手の体に手を置くと、受け手の頬に涙がつつっと流れることがあります。受け手にはどうして涙が流れるのか分かりません。
体から、感情が解放されるときに起こります。
体にある、解放されていない感情。それが抵抗となり、体を柔らかくしているのをさせない、ということです。
そして、私にも同じ事が起こっているようです。
そうすると、身体面だけでなく、心や感情面でも、自分をとことん深く見つめていく過程が必要なことが分かります。
自分自身を深く深く知って、認めて、受け止めて、その先に体を十分深く感じることができるようになる、ということが頭では分かった気がします。
なかなか一筋縄ではいかないではないですか。自分の内なる無意識下の抵抗と向き合います。
これもまた、自分を知って、気づく過程なのです。
そこに無意識の抵抗があります。
例えば、背骨をもっとぐにゃぐにゃになるくらい柔らかくしたいけれど、柔らかくなる感覚の深さに届かない自覚があります。
体が柔らかくなるには、委ねることができることが先決です。自分のカラダに抵抗があることが、柔らかくなることをさせないからです。
一体、「ゆだねられない」自分はどこから来るのか。
体の固さは、心の固さ、そして頭の固さ、とも言えそうです。
例えば、私の体の中に、まだ未消化の感情が残っているとしましょう。それが悲しみや怒りであったりと。
その感情は、自分の意識では認識できないものです。もっと深く、無意識にあるものです。
体は自覚できない、無意識下の感情も内包しています。
セッション中、私が受け手の体に手を置くと、受け手の頬に涙がつつっと流れることがあります。受け手にはどうして涙が流れるのか分かりません。
体から、感情が解放されるときに起こります。
体にある、解放されていない感情。それが抵抗となり、体を柔らかくしているのをさせない、ということです。
そして、私にも同じ事が起こっているようです。
そうすると、身体面だけでなく、心や感情面でも、自分をとことん深く見つめていく過程が必要なことが分かります。
自分自身を深く深く知って、認めて、受け止めて、その先に体を十分深く感じることができるようになる、ということが頭では分かった気がします。
なかなか一筋縄ではいかないではないですか。自分の内なる無意識下の抵抗と向き合います。
これもまた、自分を知って、気づく過程なのです。
