好きなことは続けることができる。好きではないことは、続かない。


シンプルだけれど、鉄則だと思う。


自分の日常生活を振り返ってみよう。


好きなことは情熱が続くし、そんなに好きではないことは、一時的なブームで去って行く。


仕事はどうだろう?


大半の人がやらなくてはならないこと、となっていないだろうか。


ごくごく一部の人は、自分のやりたいことや、やりがいのあることと、仕事が一致する。


そんな人は滅多にいないんだから、と言われ教育され育てられた。でも、そのごく一部に自分がなれば良いのだ。


やってみると、別に特別なことではない。自営して食べて行くに困らなかったら、それでいいのだ。


自分の好奇心と成長の追求になり、それが何よりも人を助けることに繋がっていることに、私はやりがいを感じている。


しかし、やりたいことがまだ見つかっていなくて、それを仕事としていなくても、少なくとも仕事が嫌ではないこと、である必要はあると思うな。


なぜなら、仕事であれ、嫌なことや無理のたたることが、一時的でなく、ずっと続いていけばストレスが積もり、自分のカラダを酷使することに繋がるからだ。


長い目でみたら、どこかを必ず痛めるし、病のもとになる。


そして、症状が出たときには、たいてい年齢を経ていて、歳だから、ということになってしまう。


しかし、やりたいこと、やりがいのあることと仕事が一致している人は、晩年にこそ、その才能が開花するようになっているものだと思う。


経験は、知恵となり、それをシェアする道が自ずと開けて行くからだ。


刀や包丁を創る鍛冶屋などの職人技に憧れる。何十年と鉄を叩き続け、自分の感覚と常に向き合い続ける。


あるいは、彫刻をする職人のように、のみを叩き、木から自分の彫りたいイメージを掘り出す。


世の中の景気が良いとか悪いとか、そんなのは関係ない。どの時代にも、一流の職人の技に惚れ、大金を払う人はいる。


日本なら、1億人以上いる中で、ほんのちょっとの人たちにファンになってもらえたらそれで、良い。


1000人いたら、その中の1人の目に止まってもらえたら、それでいい。1万人に1人、10万人に1人、100万人に1人でいい。縁あるほんのちょっとの人達とのつながりができればいい。そう考えたら、気持ちが楽になりはしないだろうか。


人は成熟し、後任者の見本となり、それが次の世代へと繋がっていく。その自然な営みの中に仕事があれば、自分がそこに居ても、自然の一部となり、違和感を感じなくなると思う。


情熱がついてくること、やりがいを感じることで、自分が好きなことを見つけたらいい。


もしも、自分のアイデアがまだ市場になかったら、小さなことから自分が始めたらいい。好きなことで、情熱がついてくれば、きっとできる。