人の心には、何度も何度もすり込まれ、無意識下まで影響している体験があるものです。


起こる体験は、自分にとって何かの象徴になっていると私は考えます。


例えば、カラダの痛み。これは、日常の何らかの原因で、自分に無理がかかっていますよ、という象徴です。



私にとって、受験勉強の夢が一つの象徴となっています。



自分が窮屈な生き方をしているときや、偏った考えに陥っているときに、受験勉強の夢を見ます。



でも社会的に見ると、私は自由に生きている方です。(もうこの捉え方が偏っているのですけどね(笑)



セラピールームでやりがいのある仕事を、楽しくやっています。休日は自分で作り、三重の実家にも二ヶ月に一回は帰省しています。アメリカにも、毎年一年の内一ヶ月以上も滞在しています。



しかし、まだまだ自分は真面目すぎるなあと心底思うのです。もっと自由に、楽しく自分を表現してもいいのになあと思うのです。



無意識下の自分を、顕在意識の自分が限定する範囲で考えていて、顕在意識の束縛から潜在意識を解放していないということです。このもどかしさをしょっちゅう感じます。



私の心が型にはまって窮屈なときに、受験勉強の夢が出てきます。何かをやらされている感があるときに、この夢が出てきます。



私は中学受験は全部失敗。大学受験も二年間浪人期間を体験しました。勉強の仕方も知らず、勉強の楽しさも分からずに、それでも朝から晩まで勉強をしていました。



自分から楽しくてやるのではなく、やらされている、という感覚がありました。



何のために勉強するかも全然分からない。それでも勉強しつづけました経験。それは私にとって過酷で孤独な時間でした。



さて、私の見る夢は、中学受験、高校受験、大学受験など、種類も場所も様々。よくもまあ、違う景色で同じことを何度も見せてくれるなあと感心します(笑



共通しているのは、問題が解けない。問題を読んでも意味が理解できない。解答用紙が真っ白で焦っていても、何を書いたら良いか分からない、というものです。



そうして、苦しい時間が流れていき、ある時に目を覚まします。



今までに、同じパターンの夢を何十回と見てきました。こんな夢イヤ~っと頭を抱えたくなります。夢が幸せと共に教えてくれたらよいのにねえ(笑



その夢を見る度に思うのです。どうして、受験勉強をしないといけない、と思う自分がまだ居るのか(どうしてある一つのパターンでなければならない、と考える自分が居るのか)、と。私はもう自立して自由なはずなのに、と。



何回見ても、朝起きると不快感が残ります。起きるとホッとします。



この体験は、私が無意識下では、まだまだ自分を限定し、束縛している象徴だと分かるのです。



私は、まだ自由になれていないよな~って。



潜在意識が解放されると、全然別の自分が居るような気がしていて、それが自分にとって真実だということが分かる。



逆に言い換えると、身体も心も、生き方も、まだまだ自由になれる、ということ。


そんなに真面目にならなくても良いよ。

もっと楽しんでも良いのだよ。

もっと、自由に選んで。

もっと自由に感じて。

ただ笑って楽しんでいたら、それだけでいいよ。


今自分が考えているよりも、もっと、もっと、も~っと!


潜在能力が、今考えているあなたは、あなたが考えている自分でしかないんだよ、というメッセージを伝えてくれています。


それを分かっていても、長年培ってきた考えが、自由にさせない。そういう自分がいて、もどかしいく感じます。今の瞬間を楽しみ続ける、ということが、私の日常における最大のチャレンジなのです。ここでまた、すでに矛盾していることに気づくのです。



他人のことは自分のことよりも客観的にみれるのに、自分のことは分からないものだなあと、つくづく思うのです。だから人は人との関係の中で気づいていけるのですが。自分という存在、人という存在は、不思議だなあと思います。



明日はアメリカと、ロルフインスティテュートのネット理事ミーティングがあります。毎月2回、朝の5時からやってます。起きないといけない、と考える自分が居ることがもどかしい。前日に無意識に緊張して、深く眠れなくなるのですよね。



4月後半から、5月初旬まで、アメリカでの理事会も兼ねて渡米しますが、その後、リフレッシュタイムを取ることにしました。



久しぶりに山の中で過ごし、久しぶりにタビウォーク(底の薄い足袋をはいて登山道を歩く)を楽しむことにします。花や動物たちに会いにいくよっと。山の空気はおいしいぞっと☆