どうでも良いと思うことがあります。


それは、流派や派閥です。


ロルフィングも、かつてロルフインスティテュートとギルドという二つの流派に分化されました。


ロルフインスティテュートは、クレニオセイクラルや、内臓マニュピレーションなどの新しい概念を取り入れながら変化しています。


一方、ギルドの方は、ロルフ博士がやっていた方法をそのまま守って教えています。


伝統を守るか、それとも、新しいものを取り入れながら変化していくのか、みたいな対立がありました。


日本にも、たくさん流派や派閥があります。


忍者の世界にもあるようですね。武道の世界にもあるでしょう。


私は、流派や派閥などは、どうでも良いと思います。


形の違いで、名前の違いがある分には良いと思います。


例えば、ロルフィングも一つの見方、方法論です。自分のやっていることも、あの人がやっているあれも、それも、一つの見方、方法です。カラダを、人を違った視点から捉えた方法です。


しかし、自分のやっていることが一番、と執着した時点で、窮屈なものになります。我良しのエゴが教えの前面に出ます。


自分のものと、他のものを比べることをします。そうすると、守る体制に入り、自分の持っているものを出し惜しみしたり、部外者には閉じていたりします。


私は、教える側が少しでも出し惜しみする感覚がある時点で、その人は100パーセントの力を発揮していないと思います。


教える場所でこの類のエゴが現れている方達をみると、悲しくなり、窮屈に感じます。



どの世界でも、たとえどんな良い指導をされていても、そういう姿を見る度に悲しくなります。その方が、自分の可能性を自分で狭めているからです。


もうそういう時代ではなくなってきていると感じます。


私は良いものを次の世代に伝えていくことが、私達にできることだと思っています。子供達が元気に自分らしく育っていけるようになれば、それが良いです。


心身共に、生きやすい世界になってくれれば、それで良しです。それぞれが自分らしい道を歩めれば、それで良し。


後に自分の足跡を残そうとか、そういうのは、自分のエゴでするべきことではない、と思います。結果的にそうなったなら、それは良いと思います。


ですから、同じカラダを志す者に、流派も派閥も要らない、と思うのです。そんなものは、どうでもよいです。


世のため、人のため、と心から想ってやっていれば、道は開かれるでしょう。そうでなければ、閉じたままでしょう。


私は、派閥や流派にこだわらないような、柔軟な者同士でつながってゆく。これからの時代は、そのように開かれていくと思っています。