カラダと思考が、別々になっていたのをこれまでの人生で経験してきました。
最近では、思考とカラダが別々な状態と、別々でない状態の違いが自分の体感覚で、分かるようになってきました。
思考で、カラダをこう動かそう、とやっているときには、思考とカラダが別々になっている、ということです。
私達の多くは、この状態にいます。
カラダだけを感じているつもりになっても、思考が介しているときには、カラダそれ自体の感覚を体験できないのです。
自分の中に、思考があって、カラダがある、と区別しているからです。だから、思考がカラダを動かそうとします。
そうすると、動かそうとする力みが筋肉に伝わり、それがノイズとなるのです。
思考を介さないで、純粋にカラダに居られるときに、深いリラックス状態でいられます。カラダに力みが入らない状態です。
カラダの重さが、そのまま重味として感じられる、等身大の感覚です。
カラダを感じられるようになるまで、これまで相当もがいてきました。
どうして出来なかったのか、というと、「自分が」という我の思考が先走っていたからです。
「自分が」という思考が、カラダを動かそうと働くと、肉体がただ「在る」状態から外れ、思考がカラダを動かして動作を「する」という行為になってしまいます。
温泉に浸かったときのように、カラダを「ああ~、いい湯だなあ。」と感じきったときに、初めて「在る」状態になることができます。
その状態でカラダを感じると、とても気持ちが良いです。
カラダと一つになれたのだなあ、その感じがうれしいです。
思考を介さないでいられる「在る」状態のスタートラインに立てました。今年はすばらしい気づきから始まっています。
2015年度は、ブレイクスルーの年です。どんどん変わります。おもしろくなります。
最近では、思考とカラダが別々な状態と、別々でない状態の違いが自分の体感覚で、分かるようになってきました。
思考で、カラダをこう動かそう、とやっているときには、思考とカラダが別々になっている、ということです。
私達の多くは、この状態にいます。
カラダだけを感じているつもりになっても、思考が介しているときには、カラダそれ自体の感覚を体験できないのです。
自分の中に、思考があって、カラダがある、と区別しているからです。だから、思考がカラダを動かそうとします。
そうすると、動かそうとする力みが筋肉に伝わり、それがノイズとなるのです。
思考を介さないで、純粋にカラダに居られるときに、深いリラックス状態でいられます。カラダに力みが入らない状態です。
カラダの重さが、そのまま重味として感じられる、等身大の感覚です。
カラダを感じられるようになるまで、これまで相当もがいてきました。
どうして出来なかったのか、というと、「自分が」という我の思考が先走っていたからです。
「自分が」という思考が、カラダを動かそうと働くと、肉体がただ「在る」状態から外れ、思考がカラダを動かして動作を「する」という行為になってしまいます。
温泉に浸かったときのように、カラダを「ああ~、いい湯だなあ。」と感じきったときに、初めて「在る」状態になることができます。
その状態でカラダを感じると、とても気持ちが良いです。
カラダと一つになれたのだなあ、その感じがうれしいです。
思考を介さないでいられる「在る」状態のスタートラインに立てました。今年はすばらしい気づきから始まっています。
2015年度は、ブレイクスルーの年です。どんどん変わります。おもしろくなります。
