自分という存在に気づくということは、すばらしい。


どこまで気づけるか、という旅は終わらない。


私達は、カラダの中に実は愛の塊が眠っていることに気づけないでいるのだ。


人は、お互いに競争し、抵抗し合う。


自分自身にすら、抵抗している。


まずは、その事実に気づくことが、大切なことなのだ。


私が私らしくいるためのスタートは、自分に気づいていくこと。


私が私のカラダに委ねられるということは、委ねる分だけ自分を信じることができるということ。


そして、自分を信じられる分だけ、自分を肯定できる。


自分を信じ、受け入れられたときに、相手のことも受け入れられるようにいつの間にかなるのだ。


自分が、無理矢理何かをしようとしているときには、自分のカラダを、自分自身を否定していることになる。


不安、悩みはイライラや呼吸の浅さで、無理な動きや自己否定は関節の痛みで、あるいはカラダの不快感で、違和感で、いつもカラダは語ってくれている。


カラダは、カラダの言語で私達に気づくことを促してくれているのだ。


とても、とっても深いところから。


そもそも、あなたは、あなたのままでいられますか?という問いかけを私達は、受けている。


何年も、何百年も、何千年も昔から問われている。


実は、カラダの中にその答えがある。


私もまた、ずっと探し続け、問いかけ続けてきたけれど、その答えは、「そこにずっとあった」、だった。


面食らったような、そんな感じ。


しかし、それを本当のものとして感じることができなかった。どうやって感じたらいいのか、分からなかった。気づくことができなかった。


外に正解を探しても、探しても、何もない。自分の内に気づくことで、初めてしっくりした実感を持つことが出来る。


感覚は、どこまでも深くなり、きっと終点へと行き着く。


その終点は、あなたがもともとあなたであったもの、だったりする。