カラダを信頼しきっていなかったのか。


私達は、カラダを道具のように扱う。


カラダを言うことを聞かない道具のように扱う。


カラダの声を聞かず、思考の声だけを聞かせる。


カラダはいつしか、元のカラダではなくなっていく。


柔軟さは失われ、かつて溢れていた活力はどこかに失われていく。


カラダは、すべてを知っている。そして、すべてを感じている。


無理矢理動かされてきたことも、自由を奪われたことも。


それは、記憶となり、深層へとしまわれていく。


だから、カラダの信頼を回復するのは、一筋縄にはいかない。簡単じゃあない。


少しずつ、対話をしていくしかない。


感覚という曖昧なものをたどっていくしかないのだ。


少しずつ労ってあげることを覚えていくしかない。


自分がカラダを乱雑に扱っていたことを認め、気づいていくしかない。


そして、カラダの感覚に委ねることを思い出していくのだ。


カラダに友達として認められるようになるまで、委ねるのだ。


今度は、カラダに委ね、カラダと一緒に歩もうと決心する。


愛おしく、感覚を味わいながら、二人三脚で。


有り難味を感じ、感謝の気持ちと共に。


そうして、カラダの意識ははじめて味方になってくれる。


カラダに眠っている能力を開花してくれる。


そうか、私達はほとんど皆、眠っているままなのか、と気づかされる。


だから、起きて。


起きて、目覚めた状態で、カラダと共に、生きろ。


感じきり、生ききるのだ。表現しききって生ききるのだ。


そうあってほしいと切に願う。


ぼんやり、ぼんやりと思い出してきた。そうか、私は私が考えている私ではなかったのか、と。


一瞬、一瞬をカラダに任せることでしか、委ねきることでしか、私は、本当に私であることが認識することができないのだ。