治癒は、あなたの生命力が起こします。
私(施術者)は、媒体となります。
私は、健康のお手本となります。私の体験、理解していること、カラダ、ココロ、存在そのものが体現しているものが、健康のお手本です。
私の生命力を感じた、あなたの生命が、自分の生命力を引き上げにかかります。これが生命の自然な反応です。
私の生命と、あなたの生命が感応しているときに、それが起こります。
だから、治癒はあなたが、私との感応を通して、自分で許す範囲で起こしています。
施術者が、媒体(お手本)となるためには、心とカラダが、その時の最大限、クリアに、透明に保ててある必要があります。
生命そのものはポジティブで、収縮、拡大を繰り返し、育て、滞らずに流れるようにするものなので、それが前面に出ているように居ます。
施術者は、エゴを横に置いておく必要があります。
カラダも、健康に保てている必要があります。
ココロも執着しないように保てている必要があります。感情の滞りや傷があれば、直視し、それを解決しておくことです。
こうした自分への気づきが、主観的に程度は測れないですが、効果を発揮できる施術者には備わっています。
ですから、施術者を見れば(見ることができれば)、どこまで治癒の可能性を開いていける道が続いているか、が分かります。
私は、腰痛、肩こりなどの慢性痛に加え、トラウマなど心の傷、また癌や腫瘍なども、治癒の道は開けていると思っています。
この世界は、体現している世界です。見えるものも、見えないものも含めて、そこに存在として具現化して居るものが、すべてを語ります。
発する言葉が、態度が、姿勢が、歩きが、体内リズムが、生活のリズムが、人が体現している存在を物語ります。
怒りっぽさだったり、悲しみに沈んでいたり、ココロを隠していたり、ごまかしたり、自信がなかったり、
一方で、自分らしく表現していたり、元気だったり、楽しさや喜びもまた、体現しているものを見ると分かります。
根っこで自分はどうなりたいのか、は、あなたが決めるもの、決めているものなのです。
もしも、痛みや不快や違和感で、何が何だか分からなくなったら、その時には、お手本が必要だということです。
生命の感応を通して、今の自分にとって何がベストか、を再発見していくこと。それが治癒、癒えること、です。
私(施術者)は、媒体となります。
私は、健康のお手本となります。私の体験、理解していること、カラダ、ココロ、存在そのものが体現しているものが、健康のお手本です。
私の生命力を感じた、あなたの生命が、自分の生命力を引き上げにかかります。これが生命の自然な反応です。
私の生命と、あなたの生命が感応しているときに、それが起こります。
だから、治癒はあなたが、私との感応を通して、自分で許す範囲で起こしています。
施術者が、媒体(お手本)となるためには、心とカラダが、その時の最大限、クリアに、透明に保ててある必要があります。
生命そのものはポジティブで、収縮、拡大を繰り返し、育て、滞らずに流れるようにするものなので、それが前面に出ているように居ます。
施術者は、エゴを横に置いておく必要があります。
カラダも、健康に保てている必要があります。
ココロも執着しないように保てている必要があります。感情の滞りや傷があれば、直視し、それを解決しておくことです。
こうした自分への気づきが、主観的に程度は測れないですが、効果を発揮できる施術者には備わっています。
ですから、施術者を見れば(見ることができれば)、どこまで治癒の可能性を開いていける道が続いているか、が分かります。
私は、腰痛、肩こりなどの慢性痛に加え、トラウマなど心の傷、また癌や腫瘍なども、治癒の道は開けていると思っています。
この世界は、体現している世界です。見えるものも、見えないものも含めて、そこに存在として具現化して居るものが、すべてを語ります。
発する言葉が、態度が、姿勢が、歩きが、体内リズムが、生活のリズムが、人が体現している存在を物語ります。
怒りっぽさだったり、悲しみに沈んでいたり、ココロを隠していたり、ごまかしたり、自信がなかったり、
一方で、自分らしく表現していたり、元気だったり、楽しさや喜びもまた、体現しているものを見ると分かります。
根っこで自分はどうなりたいのか、は、あなたが決めるもの、決めているものなのです。
もしも、痛みや不快や違和感で、何が何だか分からなくなったら、その時には、お手本が必要だということです。
生命の感応を通して、今の自分にとって何がベストか、を再発見していくこと。それが治癒、癒えること、です。
