私は楽器を演奏できる方がうらやましいです。もし一つ演奏できる楽器があったら、自分を音に乗せて表現してみたいものだなあと思うものです(笑


さて、ロルフィングで何ができるでしょう。今日は楽器の演奏者編です。



ピアノ、ギター、トランペット、バイオリンなどなど、何の楽器を演奏していても、第1に大切なことがあります。


それは、長時間演奏しても、腕や肩、腰、そして首が疲れない、最大限疲れにくいポジションはどこか、ということを自分のカラダで理解して知っていることです。


楽器を学んでいる日本人の数が多いのを知って驚きましたが、それよりも、演奏するときのカラダの使い方、姿勢の保ち方を学んでいない子供達がほとんどだということには、もっと驚かされます。


日本では、どうしても練習がきつければきついほど良い、長ければ長いほどよい、という風潮がありますがそうではありません。


いかに力を抜いて「楽に演奏できるか」、を学ぶことが一番重要なのです。


無理のかかるカラダでは、演奏すればするほど筋肉や骨格に疲労がたまります。



小学生、中学生、そして高校性達の練習時間を聞くと、


「大丈夫かな。才能や素質がしぼんでいかないかな。」


といつも心配になります。


筋肉の張りはノイズとなります。カラダの動きが鈍くなり、表現の邪魔をします。音が響きにくくなります。澄んだ音というのは、筋肉が静かになり、筋肉のノイズに遮られることなく、骨から響くのです。


カラダが一つになって動くには、骨格が動いてくるのであって、筋肉の力を使って動かすことではありません。


私は、日本人はとても繊細な感覚を持っていると思います。その繊細さがストレートに表現されれば、世界で活躍できるアーティストがたくさん輩出されてもおかしくはない、と思っています。


しかし、練習方法がカラダに負担を強いるものであればあるほど表現されず、その繊細さは影を潜めてしまうのだと思います。


表現とは、その人がもともと持っている性格の良さ、人格、情熱などの気持ちが、そのまま音とメロディーに乗って運ばれていくものだと思います。


そこまで行くまでには、並大抵の努力ではないでしょう。楽器に合わせて、自然にカラダや指を動かせるというのは、すごいことだからです。


しかし、そこに行くまでの過程が、カラダを壊すものであってほしくないなあと思います。


ロルフィングの施術やムーブメントで学ぶのは、より「楽に」演奏していくための基盤をカラダに築くことです。


楽器を演奏するカラダも、楽器の一つだと思っていただけたらよいのではないかと思います。


楽器は、演奏者が楽しく、歓喜と共に自分を表現するものであってほしいなあと思っています。