私達、人はカラダだけでも、心だけでもなく、意識だけでもありません。
それらすべて合わさったものが人です。
施術をしているときに、何が何に反応しているのか。
いきつく先は、生命です。命と命の感応です。
その人と、その人の反応です。
人の持つ生命力と生命の情報が、相手の生命力を引き出すのです。
手法は、生命力を伝え、呼び起こすための媒体に過ぎません。
主役は、あなたと、わたし、の存在です。
施術中、施術者の思考や筋肉の動きは、人のエゴを含みます。
それらの雑音は、生命の純粋な反応を見えなくし、弱くします。
カラダに触れるときには、思考や筋肉の活動が、小さければ小さいほど良いです。
筋肉を使うのではなく、柔かな皮膚感覚と、骨格を使う。
捕らわれた思考は邪魔です。迷ったら、軸がブレます。自然に話せる世間話や、手から伝わってきたことを、伝えるくらいが心地良いかな。
一方で、手を使わずに施術することもできます。(昔はそんなことは不可能だと思っていたのですが。)
命の感応を感じることができれば、手を使わなくても施術ができます。
意識と、知覚を使います。これは、肉体の制限をうけないので、深く受け手の無意識下へと誘われることが起こります。
手を置いていても、いなくても、言葉には表されないコミュニケーションが起こっています。命の感応は、その形を限定しません。
命を知れば知るほど、自分を知れば知るほど、響かせる方法が分かっていきます。
分かれば分かってくるほど、カラダは不思議だなあと思います。人って不思議だなあと思います。
そして、ひとつが分かっても、またひとつ分かっていないことが分かります。
私は、まだ知らないのだなあ。その自覚が、好奇心と共に学ばせてくれるのでしょう。
私が人として自覚できないこと、見えないことがこの世にはたくさんあって、それを受け止めます。それでいいのだ、と。
同時に、もっと具体的に体験し、分かりたいと思うからこそ、探求者でありつづけるのだと思います。
施術中で起こるのは、命と命の感応です。
水面に水滴が2滴落ちたら、2つの波紋は、広がり、重なり合います。
命という波が、周波数となり、もう一人の持つ周波数の波が重なり、響き合います。
人の持つ可能性って、すばらしいなあ!と日々気づかされます。
それらすべて合わさったものが人です。
施術をしているときに、何が何に反応しているのか。
いきつく先は、生命です。命と命の感応です。
その人と、その人の反応です。
人の持つ生命力と生命の情報が、相手の生命力を引き出すのです。
手法は、生命力を伝え、呼び起こすための媒体に過ぎません。
主役は、あなたと、わたし、の存在です。
施術中、施術者の思考や筋肉の動きは、人のエゴを含みます。
それらの雑音は、生命の純粋な反応を見えなくし、弱くします。
カラダに触れるときには、思考や筋肉の活動が、小さければ小さいほど良いです。
筋肉を使うのではなく、柔かな皮膚感覚と、骨格を使う。
捕らわれた思考は邪魔です。迷ったら、軸がブレます。自然に話せる世間話や、手から伝わってきたことを、伝えるくらいが心地良いかな。
一方で、手を使わずに施術することもできます。(昔はそんなことは不可能だと思っていたのですが。)
命の感応を感じることができれば、手を使わなくても施術ができます。
意識と、知覚を使います。これは、肉体の制限をうけないので、深く受け手の無意識下へと誘われることが起こります。
手を置いていても、いなくても、言葉には表されないコミュニケーションが起こっています。命の感応は、その形を限定しません。
命を知れば知るほど、自分を知れば知るほど、響かせる方法が分かっていきます。
分かれば分かってくるほど、カラダは不思議だなあと思います。人って不思議だなあと思います。
そして、ひとつが分かっても、またひとつ分かっていないことが分かります。
私は、まだ知らないのだなあ。その自覚が、好奇心と共に学ばせてくれるのでしょう。
私が人として自覚できないこと、見えないことがこの世にはたくさんあって、それを受け止めます。それでいいのだ、と。
同時に、もっと具体的に体験し、分かりたいと思うからこそ、探求者でありつづけるのだと思います。
施術中で起こるのは、命と命の感応です。
水面に水滴が2滴落ちたら、2つの波紋は、広がり、重なり合います。
命という波が、周波数となり、もう一人の持つ周波数の波が重なり、響き合います。
人の持つ可能性って、すばらしいなあ!と日々気づかされます。
