先日、電車の中で。


おじさんA:「あんた、何じっとオレのこと見てんの?さっきからオレのこと、じ~っと見てるけど?」

おじさんB: びっくりした様子で 「見てないですよ。」


おじさんA: 「さっきからジーッとオレのこと見てたから。」


おじさんB: 目が点の様子で、「見てないです。」


おじさんA: 「見てないのか?」


おじさんB: 「見てない。見てない。」


おじさんA: 「そうか。見てないのか。」


おじさんAはそう言うと、さっさと空いている席に座ったのでした。


おじさんBも落ち着きを取り戻し、持っていたタブレットに目を落としたのでした。


実際は、おじさんBはずっとタブレットの液晶画面を見ていたので、おじさんAを見ているはずもなかったのでした。


私はそのやりとりを隣で見ていて思いました。


おじさんAは、事実を見れない世界で生きているんだなあ。


おじさんAのフィルター、脳を通すと、起こっている事象が、実際に起こっていることと異なってしまいます。妄想も混じっているのでしょう。


こんな人は大勢います。


いませんか?自分の言ったことを、全然異なって理解する方。いやいや、そんなこと私言ってないって。何をどうしたら、そんな理解になるのですかっ!?


人付き合いって、ホント大変だと思います。


こういうことは、程度こそ違えど、パートナー通し、夫婦、親子、近所付き合い、会社、学校などで、いつも起こっています。


私もまた、自分のフィルターを通して人を見て、他人のフィルターを通した視点で見られています。


私達は、本当に同じ世界に住んでいるのでしょうか。


答えは、YES。そして、NO。


物事は、ニュートラルです。事実は事実として起こるだけ。その世界を私達は共有しています。だから、私達は同じ世界に住んでいると言えます。


しかし、起こった事実に、喜怒哀楽や、自分の思考を付加するのが、それを見ている人間です。私達一人一人です。


事実をそれぞれの脳をフィルターとして通すと、同じ事実が違うことがらになっていくのです。


ですから、私達一人一人は、それぞれが自分のドラマの世界を生きているといえます。


私達は同じ世界には生きてはおらず、異なった世界に生きているとも言えるのです。


事実を事実として捉えるには、自分の生きているドラマから一歩でて、外からの視点で
客観的にみてみる必要があります。


映画の中で夢中になって動いている自分を、見ている観客になるのです。


「ほうほう、おもしろいな、私。こういう風に思って考えて感じてるのね。」


そうすると、物事への反応を変えられるようになります。


事実はそのまま。でも、自分の捉え方を変える。


喜怒哀楽や思考の反応をそのまま生きていると、それはドラマの中の人間です。これは、無意識に反応して生きる世界です。


そこから一歩出ることもできます。そして、自分が望むなら、演じるドラマを選ぶこともできるようになっていきます。


今度はこうやって反応してみよっと。そうしたら、おもしろいかも。シリアスな映画よりも、もうちょっとコメディー調にしてみよっと。


このようなことが実感として分かり始めると、自分が生きている現実を変えることにつながっていきます。


そのためには、事実を事実として見ることのできる客観性を磨くことです。


自分の感情や感覚の反応、そして脳の思考形態、神経回路を観察し、理解するのです。


気ままにつづく。