私達はよく自分の理想の「完璧な人」を想像しがちになります。
例えば、パートナーにそれを求めたり、子供に求めたり。
特に、幼い子供にとっては、親が自分にとって完璧な人に映りがちです。
逆に親は子供に、自分達親を含め完璧な人はいない、と教えた方が良いと思います。
子供が親を完璧でないと知っておいた方が、子供自身が親にとって、また他人にとって、完璧にならなくても良いことを早くに知るからです。自然体の自分でいやすくなります。
私達は完璧な何かを求めがちになりますが、何かを完全にしないといけないとか、完璧にこなさないといけない、という期待は、本人の為にはなりません。
本人がそれを意識したときに、過度のプレッシャーになるでしょう。
また、完璧に、という気持ちは、周りの期待を取り込み、自分に過度の期待をかけて、それができなかった自分に対し、落ち込む原因にもなります。そして、リズムを崩します。
オリンピックでも、完璧な演技が求められ、期待されますが、そのプレッシャーはものすごいと感じます。何千万人の期待があるのですから。よっぽど本人が自分を持っていないと、すぐに潰れてしまうと思います。
そういう意味で、フィギュアスケートの浅田真央選手はすばらしかったです。世界から注目される中で、逆境の中、自分を出せる人はなかなかいないと思います。
それも、1日で方向転換し、自分を取り戻すのは本当に至難のことだったと思います。
本人が意識したことは、「集中して一つ一つ。」と答えていました。
フリーの演技では自分だけに集中し、「素」が出せたので、本来の実力が出せ、素の彼女から世界に感動が伝わったのだと思います。
演技中は、凜として、すごい気迫でした。ジブリの映画ででてくる、主人公の髪が逆立つときの描写を思い出しました(笑
彼女が滑り終えた後に見せた、溢れだすような感情と涙は何度見ても感動しました。
浅田選手は、演技をしているその瞬間の「今」しかなかったと想像します。雑念が入る余地がないほど集中し、今、今、今に集中しつづけた延長上に、結果がついてきたのだと思います。
期待の渦の中で、また連続した複雑な動作の中でそれができるって、すごいなあと思います。今まで懸けてきた時間や練習、そして思いが全部つまった演技なのだと思いました。ゆっくり休んでほしいです。
しかし一方で、私達は身勝手に、完璧な演技を選手に求めるものなのだなあとも思いました。
他人や自分に「完璧さ」を求める心というのは、美しくもあり、また、度ツボにはまる、あやういものでもあると思います。
私も自分自身に完璧さを求める部分がありますが、そんなときには適度に「まあいいや」と考えるようにしています。その方が楽だからです。
○他人の期待に応えようとして、自分を他人の期待の枠に当てはめようと頑張っているとき、
○他人と比較して自分に完璧さを求めるとき、
○また自分に例えば期限をつけて、いついつまでにこれをしなくては、などと完璧さを求めてしまうとき、
「まあいつかできたらいいか」と、思い直します。
また、他人に完璧な何かを見たいと思うようなときにも、完璧な人はいないんだよ、と思い直します。
そのおかげで、自分の素ののんびり屋がでてきます。時に抜けすぎてて、期限のあることを期限中にやらないことなんかもでてきます。本当に忘れてしまうのですよね(笑
周りを見渡すと自分も含め、たくさんの人達が完璧さを求め、求められ、頑張りすぎていると感じます。
適度にしておきましょう。自分を休ませてあげましょう。
完璧に何かをしなくてはいけない、という思い込みは、他の選択肢があるのに、それに気づけないあやうさを持っています。自分に柔軟さを失ってしまいます。
もし、何かを完璧にしなくてはいけない、という思いがあれば、その枠を外すという選択肢もある、ということを考えてあげると良いと思います。
完璧さへの期待を手放し、「今」に生きたときに、素の自分から完璧さを体現したような美しさがでてくるのだと思います。浅田選手が見せてくれたように。
自分を、他人や自分の期待から自由にしてあげられるのもまた、自分自身なのです。
例えば、パートナーにそれを求めたり、子供に求めたり。
特に、幼い子供にとっては、親が自分にとって完璧な人に映りがちです。
逆に親は子供に、自分達親を含め完璧な人はいない、と教えた方が良いと思います。
子供が親を完璧でないと知っておいた方が、子供自身が親にとって、また他人にとって、完璧にならなくても良いことを早くに知るからです。自然体の自分でいやすくなります。
私達は完璧な何かを求めがちになりますが、何かを完全にしないといけないとか、完璧にこなさないといけない、という期待は、本人の為にはなりません。
本人がそれを意識したときに、過度のプレッシャーになるでしょう。
また、完璧に、という気持ちは、周りの期待を取り込み、自分に過度の期待をかけて、それができなかった自分に対し、落ち込む原因にもなります。そして、リズムを崩します。
オリンピックでも、完璧な演技が求められ、期待されますが、そのプレッシャーはものすごいと感じます。何千万人の期待があるのですから。よっぽど本人が自分を持っていないと、すぐに潰れてしまうと思います。
そういう意味で、フィギュアスケートの浅田真央選手はすばらしかったです。世界から注目される中で、逆境の中、自分を出せる人はなかなかいないと思います。
それも、1日で方向転換し、自分を取り戻すのは本当に至難のことだったと思います。
本人が意識したことは、「集中して一つ一つ。」と答えていました。
フリーの演技では自分だけに集中し、「素」が出せたので、本来の実力が出せ、素の彼女から世界に感動が伝わったのだと思います。
演技中は、凜として、すごい気迫でした。ジブリの映画ででてくる、主人公の髪が逆立つときの描写を思い出しました(笑
彼女が滑り終えた後に見せた、溢れだすような感情と涙は何度見ても感動しました。
浅田選手は、演技をしているその瞬間の「今」しかなかったと想像します。雑念が入る余地がないほど集中し、今、今、今に集中しつづけた延長上に、結果がついてきたのだと思います。
期待の渦の中で、また連続した複雑な動作の中でそれができるって、すごいなあと思います。今まで懸けてきた時間や練習、そして思いが全部つまった演技なのだと思いました。ゆっくり休んでほしいです。
しかし一方で、私達は身勝手に、完璧な演技を選手に求めるものなのだなあとも思いました。
他人や自分に「完璧さ」を求める心というのは、美しくもあり、また、度ツボにはまる、あやういものでもあると思います。
私も自分自身に完璧さを求める部分がありますが、そんなときには適度に「まあいいや」と考えるようにしています。その方が楽だからです。
○他人の期待に応えようとして、自分を他人の期待の枠に当てはめようと頑張っているとき、
○他人と比較して自分に完璧さを求めるとき、
○また自分に例えば期限をつけて、いついつまでにこれをしなくては、などと完璧さを求めてしまうとき、
「まあいつかできたらいいか」と、思い直します。
また、他人に完璧な何かを見たいと思うようなときにも、完璧な人はいないんだよ、と思い直します。
そのおかげで、自分の素ののんびり屋がでてきます。時に抜けすぎてて、期限のあることを期限中にやらないことなんかもでてきます。本当に忘れてしまうのですよね(笑
周りを見渡すと自分も含め、たくさんの人達が完璧さを求め、求められ、頑張りすぎていると感じます。
適度にしておきましょう。自分を休ませてあげましょう。
完璧に何かをしなくてはいけない、という思い込みは、他の選択肢があるのに、それに気づけないあやうさを持っています。自分に柔軟さを失ってしまいます。
もし、何かを完璧にしなくてはいけない、という思いがあれば、その枠を外すという選択肢もある、ということを考えてあげると良いと思います。
完璧さへの期待を手放し、「今」に生きたときに、素の自分から完璧さを体現したような美しさがでてくるのだと思います。浅田選手が見せてくれたように。
自分を、他人や自分の期待から自由にしてあげられるのもまた、自分自身なのです。
