最近、事実を事実としてそのままとらえる能力が開発されてきた。


重力を重力として見たときに、そこにはニュートラル、中立な世界が広がっている。


皆、自分のフィルターを通して物事をみるので、解釈が分かれるのだけれど、実は映し出されているのは同じ姿ということだ。


事実は一つしかない。


自分の姿を鏡でみたときに、映っている姿。それをそのまま見るということが何と簡単ではないことか。


私達は皆、都合の良いように自分を解釈し、そしてカラダを曲げて使っている。


神経を通って知覚していることが、純粋に重力を反映しているかと言うと、そうはなっていない。


重力という鏡に映し出すと、そこに見えるものや動きは同じであるはずなのだ。


カラダが、重力という鏡に純粋に映し出されたら、そうしたら、骨が見える。


骨で動く動作は美しい。人は美しいのだなあと思う。


反対に筋肉の動作は、人間の個や、エゴや、抵抗を含む。


臓器はいつもニュートラルを保つが、人のエゴは、これらの臓器を酷使する。


それまでの記憶が思いと共に詰まっている箱が、筋肉や臓器などを包む筋膜、膜構造なのだろう。


カラダも、心も、本当はもっとシンプルでいい。