ロルフィングで筋膜を扱っているうちは、まだカラダに「制限がある」ということです。


制限のない自由に動くカラダには、筋膜の制限がありません。ロルフィングも必要ではありません。


これが分かると、筋膜の施術でできることと、できないことの区別が容易になります。


筋膜の制限がある、私達99パーセント以上の人々には、ロルフィングは、効果てきめんですが、残りの0、数パーセントの方達には必要ありません。


骨の感覚で純粋に動くことができる武道をしている者や、忍者は、筋膜の制限を超越していました。


その人達は、骨の感覚を知っていて、筋膜に重力が流れることで、カラダを操作しています。


本来重力と調和したカラダというのは、この骨の感覚を重心で動かしてくることを言います。


骨の感覚を感得したら、筋膜が自由になるのです。


最近思うのが、ロルフィングの世界です。


今までの大きな問題は、
ロルファーは「筋膜に執着しすぎる」のです。なぜなら、筋膜の制限を超越したロルファーが、かつていないからです。


ロルフィングの創始者のアイダ・ロルフ博士は、
筋膜の制限のないカラダを見る「目」がありました。


その時代に筋膜の制限のない俳優であり、ダンサーだった、
Fred Astair(フレッドアステア)を唯一ロルフィングの要らないカラダ、と言っていました。今はその理由が分かります。

彼のたたずまいの中に、骨格がはっきりと見えます。片足で立っていても、骨の重心でカラダを支えています。


こんなポーズの中にも、骨格が見えますね。例えば、左肘の関節の角度はすばらしいです。筋膜の制限をうけていないと、骨がくっきりと見えます。足も腕も関節に制限がなく、ピンと伸びます。



杖をカラダの延長として使って、その支えから重力をカラダ全身に伝えて支えています。筋力ではなく、骨格を純粋に使っています。


ロルファーはこれを見て、コアがきれいに伸びている、というコメントをします。しかし、それはある意味、筋膜から視た視点とも言えます。


実際は骨の感覚で重心を使って動作ができると、力は入らず、筋膜を通って重力が自由に伝わり、コアは自ずと伸びる、が正しいのだと思います。


筋膜の制限のないカラダを実際に目の当たりにすると、制限がクリアに見えてきます。私は忍者先生の動きを見て学ぶことで、それに気づかされました。


アイダ・ロルフ博士が理想としていた、制限のない姿勢や動作などを幸運にも、直に見る機会があるということです。


ロルフ博士は、カラダに筋膜の制限のない、今はまだ見えていない、そして、ほとんどの人にはおそらく一生見えないであろう、人の骨格の完成形を見ていたのです。


意識の中に完成形のカラダがありました。まだ見ぬ完成形、イデアの世界です。

プラトンは、イデアという言葉で、われわれの肉眼に見える形ではなく、言ってみれば「心の目」「魂の目」によって洞察される純粋な形、つまり「ものごとの真の姿」や「ものごとの原型」に言及する。プラトンのいうイデアは幾何学的な図形の完全な姿がモデルともとれる。<Wikipediaから抜粋>


ソースポイントセラピー®も、ブループリント、つまり人間の健康に関する雛形の情報、を降ろしてくるセラピーですが、これもエネルギーとして、人の完成形を幾何学的に見ています。


ロルフ博士は、カラダのどこに純粋さを阻むブロックがあるのかが見えました。
ただ、当時のロルフィングの施術方法は、今から思うと未完成でした。だから、無理に力で筋膜を伸ばしていました。


しかし、東洋の日本の文化の中には、多くのヒントがあります。


合気道の師範や、忍者先生、そして武道などをしている方達もそうですが、既に筋膜を通して重力を流している人達がいます。


それを、才能云々でなく、みんなが施術でできるように、感覚的かつ論理的に導く方法があれば、すぐれた施術者がたくさん生まれることでしょう。


そうできるようになりたいな、と私は自分のカラダで体験中です。重力を流すことができるようになるには、自分のカラダが自由にならなくてはいけません。


今は部分的には重力を通すことができるようになってきたのですが、まだまだ固い。今年は、「重力を自由に流す」、を全身で体現していきたいと思っています。