他人とは違う、ユニークな存在じゃないと、この社会では生き残れませんっ。だから人とは違うことができるようになりなさい!


一方で、みんなと一緒がいいのですよ。みんな一緒に。目立たなくてもいいの。一人目立って、みんなと異なっていると、返っていじめられますよ。


どっち?


本や何かで、「すべてを愛しなさい。」「隣人を愛しなさい。」と書いてあったり。


でも、人に傷つけたり、人を思いやっていない行動、迷惑ばかりかけている人が多いのに、そんな人、本当に愛せます?


何が本当?


この世は矛盾ばかりです。 矛盾があって成り立っている世界。それをまず笑って認めましょう(笑


自分が他と異なっていると、他人と自分は違うのだと頑なになると、自分をこの世界から切り離すことになります。


それは、自分は他とは違うのだ、という優越感を作りだし、他者との差を、あたかも自分の存在意義のように感じさせます。


他者と異なることで、自分が認められたい、という欲求がでてきます。
一方で、他者とは孤立した、孤独を感じたりもするでしょう。



競争社会ですね。社会は、これを良しとしながらも、共生共存を唱えます。


矛盾していません?


自分が他人と違うことを良しとして、優越感がどこかにあるときに、他者と同じ目線で心から共感したり、感謝することがはたしてできるでしょうか?


どう折り合いをつけたら良いでしょう。


さて、答えは知りません(笑 が、私は少なくともこう感じます。


命に価値の差はありません。施術していても、命の反応はみんな同じです。命の視点では、みんな平等です。


有名人の誰かがより価値があるとか、そんなことは感じたこともありません。病気や年老いて動けない方がより価値が少ないとか、そんなことは断じてありません。


さらに、私もあなたも、他人に迷惑をかけていらっしゃるあちらの方も、命の立場に立てば平等です。


この立場を認められると、相手のことが自分のこととして分かるような、深い共感がやってくるのではないかなあと思います。



人に迷惑をかけている他者と、自分が平等だと言われたら、カチンとくるかもしれませんけどね。


しかし、命の視点では、やはり、1つ1つの命が平等だと感じます。


そして、競争なんかしなくても、ひとりひとりが既に、ユニークな存在です。


他人と異なろうとしなくても、深いところで自分の良いところを知れば、自分の持つユニークさに気づけます。それは、必ず社会の中で必要とされます。


しかし、自分の外をさがしても、誰かと比べても、自分の良さやユニークさは見つかりません。


育つ過程で、他者と比べられる世の中に育った私達は、自分の良さやユニークさを、きわめて見つけにくくなっているのです。


迷惑をかけてばかりのあちらの方も、もしかしたら、自分の良さを分かっていない、分かってもらえないだけなのかも知れませんね。


でも、自分の内をみつめ、もう一度自分を見つける、再発見する「選択」をすると、それから違う道が開けます。


私達に、自由が与えられているとしたら、それは、「選択すること」なのだと思います。 矛盾した世界の中で、何を選択するか。


矛盾を矛盾のままにしておくのか。矛盾を鏡として学び、自分に一本の軸を通すのか。それも自分次第ということです。