日本には数多くの神社があります。どこの神社でも、伊勢神宮の天照大神のお札が置いてあります。天照大神は、太陽を神格化した神様です。


不思議です。


多くの日本人は初詣から一年を迎えます。初日の出を拝みます。
日本の国旗も、日の丸は太陽です。


多くの人々が自覚していない太陽への崇拝がありますよね。日常的で、同時に文化の底に根付き、2000年以上面々と受け継がれています。


とっても不思議です。太陽神と言うと、ふと古代エジプトを思いだします。何か関係があるのかな。


一見現代社会は西洋化されて、見えない物象を信じない人々が多いように見えますが、日常に見えない物を信じている文化が生きています。


自然のもの全てには神が宿っていることが、神道の八百万の神の考え方ですが、私はこのシンプルさが好きです。


この太陽系で、万物の生命を生み出す源が、太陽の光ならば、その根源に感謝を示すのは、命に感謝することにつながると感じます。太陽はすべての根源の象徴なのではないでしょうか。


万物には、生み出される元の要素(光)が含まれていると考えると、それらが宿っている日常の自然の中に、
八百万の神としてあがめられる。そう考えるとしっくりきます。


このように、日本人や日本の文化には、見えないものを当たり前のように感じ、見えないものに感謝する心が奥底には備わっているのだと思います。


ただ、こうした意識がなくても神社への参拝はしますから、感謝を置いてくるよりは、自分の個人的な願い事をしている方は多いでしょう。


しかし、これは本来の目的とは異なると思います。神社は元々は万物の根源、もしくはそこから派生したエッセンスに感謝を置いてくるための場所だと私は思います。自分の自我の欲求を置いてくる場所ではないと思います。


また、すべての元が太陽の光から生み出されてきたのであれば、人体にもまたその根源の要素のかけらがあるわけで、神社で感謝を置いたときには、根源の光と、自分の中にある根源のかけらにも感謝を置いてくることになっているでしょう。


神社のご神体には、鏡が多いですが、これもシンプルに考えてみます。太陽の光、すべての根源に感謝の気持ちを置くということは、鏡に反射して、それがそのまま自分の中にある根源のかけらに感謝していることになっているのだと思います。


鏡はその象徴だと考えると、これまたシンプルになります。


神社で感謝を置くことが、自分の中にある、もともとのエッセンス、生命力の源とのつながりを強くしてくれているのだと思います。


カラダに触れていると、こういうことに気づかされます。人の身体には、それぞれに生命の源からわき出てくる、活力の強さがあります。


私のする施術ではカラダから、様々な理由で生命力をブロックしているものを取り除いていくわけですが、生命力そのものの強さは、その人の命の輝きです。


命の輝きの強さを決めているのは何か、と感じていくと、個人が自分に感謝できること、自分をとりまく周りの人たちや環境に感謝できること、そして、社会に感謝できること、自然や地球に感謝できること、太陽や宇宙に感謝できること、すべての根源に感謝できること、というように広がっていくのです。


ただ、人生の重荷や傷が、この輝きを一時的に覆ってしまっているのです。


カラダの中にある生命の源に触れ続け、そこからこうしたことにも気づかせていただきました。カラダには本当に宇宙が存在しているのだと思います。


そして、カラダの神秘と、日本の文化のシンプルさ、奥深さに畏怖を覚えるのです。日本に生まれて良かったなあと思います。


今日もまた、生かされていることに感謝を置いて、日々の生活をすることにしましょう。ありがとうございます。