先日東京で、久しぶりにお気に入りのオーガニックな食堂を友人と訪れた。
自然風オシャレな感じで、新鮮な野菜やお肉を使って、超健康な食事をいつもだしてくれる。味付けは薄味で食材の味が引き出されていて、それでいて一工夫ある。大変おいしく、見て色鮮やか。食べていて楽しい。
そして、マスターやそのご主人、お客さんの間に自然に会話が生まれる。そんなアットホームな食堂に2人のカップルが入ってきた。
「みゃー、みゃー、みゃ~~!」
かわいい声が聞こえる。小さな子猫も一緒だ。そのやさしいお2人は、小さな子猫の里親を募集していると言っていた。聞くと、その子は生後2週間の女の子だそう。
食事を食べ終わった頃、マスターが抱いていた子猫を私に手渡した。
子猫はずっと「みゃー、みゃー」と何かを訴え続けるように鳴き続けていた。
「はいはい。よしよしよし。」
ふと腕に抱いてみると、その子の感情が伝わってきた。赤ちゃんは、動物も人も、感情がストレートにでている。
人の言葉でいうと、落ち着かない、不安、という言葉だ。それが訴えるような鳴き声にでていて、何か耳につくように聞こえたのだと思った。
そして、何よりも母親の温かさを探し求めていた。これが生命の本能なのだと思った。
片方の腕を身体にくっつけるようにして子猫を抱きながら、もう片方の手で軽く子猫ちゃんに触れてみる。
その子の命の響きが伝わってきた。
鳴き続けていた子猫は、私の腕に乗ると、す~っと鳴くのを止めて、脇の方へ登っていく。誰が抱いても鳴き止まなかったので、みんな驚いていた。
子猫ちゃんからは、お母さんのお腹によじ登っていく感覚でいるのだと伝わってきた。腕と脇の間に顔をはさみながら、気持ちよさそうに足踏みを始めた。
お乳をすいたがってる。。お母さんのお乳が吸いたいんだと分かった。ごめんね~、お乳なくて。
多分、生まれて落ち着く場所を見つけられずにいたんだろう。お母さんと、兄弟の中にはさまれて、もみくちゃにされながら、おっぱいを吸う。そうして肌のぬくもりを感じる機会がなかったんだろう。
子猫の世話をしているお二人は、情が移るからなるべくふれないようにしているとおっしゃっていた。それもいた仕方ないのかもしれない。同時に子猫の鳴く意味も分かる。
多分生まれて初めてじゃないかな、落ち着けたのが。そして肌のぬくもりをじっくりと味わう機会が持てたのが。
そして、子猫は足踏みをしばらくつづけた後、私の腕の中で眠りに落ちた。
その間、子猫の生命と、私の生命の反応が起こり始めていたのが分かった。ここからは第2幕だ。
私は、子猫が抱えている不安やストレスが、できるだけ子猫のカラダの外へ抜ければいいと思った。
動物は反応がダイレクトで、しかも生命の深いところから反応する。ましてや生まれたての赤ちゃんだ。生命そのもの。
命が輝くための反応が起こる。
子猫は身体を時折ブルブルッと震わせ、溜まった不安や感情など、命の輝きを遮るものを手放し始めた。すごい量だった。人でも短時間でこれだけの量を解放することはめずらしいくらいだと思った。
子猫の全身が、「ブルブルブルブルッ」と震える。その後沈黙があって、また「ブルブルブルブルッ。」と体中が小刻みに震える。もう終わったかなと思ったら、また始まりそれがしばらく続いた。
これは、動物の本能が持つ、「ディスチャージ」という反応だ。カラダに溜まったストレスを無意識にカラダを震わすことで、カラダに溜めず、カラダの外へ逃がす方法だ。
私は、動物人間関わらず、生きる有機体から、この反応を引き起こすきっかけを与えることができる。その時に、受け手が変化に心を開いていたら、という条件つきだ。何事も強制はできない。
お母さんと離れたストレスが、この小さい命には重すぎるくらいの不安やストレスを抱えさせていたのか。
思えば人の子供は、20年間もの間、ずっと親から世話されて成長していくのだなあ。それ自体が奇跡のようなものだと思った。生まれてすぐ親と離れるのって、酷だなあ。
子猫が溜まった物を解放してリラックスしていくのにつれて、自分の身体もリラックスして呼吸が深まる。子猫につられて眠くなった。
子猫の神経系に自分の神経系が同調していくのが感じられた。
そうして10分くらいいただろうか。反応が一段落して、子猫が起きる準備が整っていくのが分かった。そうして自分の知覚もまた、鮮明になっていった。
ふう~。子猫ちゃん、お疲れさま。
その後で、子猫は今度はやさしい声でみゃーみゃー鳴き始めた。その変化に周りの人達も驚いていた。お腹減ったよねえ。
この子が元気で健やかに育ちますように。そう祈って食堂を後にした。
ひとつの生まれたばかりの命が自分に立ち寄っていった。そして私もまた、命の尊さを改めて思った。
命には命で接する。形は違っていても、人も動物も、生命に重いや軽いの違いはない。そこにあるのは、一つの命ともう一つの命だ。
生命という私たちの源。これが私たちの本質であって、そこにあるものだ。
人生の中で傷を負ったりして、何らかの形で、その生命の流れが遮られる。すると、私たちは、自分らしくない自分で生きていかざるを得ないのだ。
それが痛みだったり、不安などの感情であったりする。身体はいつもそれに気づいてとサインを送り続けている。逆に言えば、それらは自分らしさを取り戻す入り口とも言える。
あの子猫ちゃんに良い出会いがありますようにと、心から祈ります。生きてきて良かったと思えるような人生が待っていますように。
自然風オシャレな感じで、新鮮な野菜やお肉を使って、超健康な食事をいつもだしてくれる。味付けは薄味で食材の味が引き出されていて、それでいて一工夫ある。大変おいしく、見て色鮮やか。食べていて楽しい。
そして、マスターやそのご主人、お客さんの間に自然に会話が生まれる。そんなアットホームな食堂に2人のカップルが入ってきた。
「みゃー、みゃー、みゃ~~!」
かわいい声が聞こえる。小さな子猫も一緒だ。そのやさしいお2人は、小さな子猫の里親を募集していると言っていた。聞くと、その子は生後2週間の女の子だそう。
食事を食べ終わった頃、マスターが抱いていた子猫を私に手渡した。
子猫はずっと「みゃー、みゃー」と何かを訴え続けるように鳴き続けていた。
「はいはい。よしよしよし。」
ふと腕に抱いてみると、その子の感情が伝わってきた。赤ちゃんは、動物も人も、感情がストレートにでている。
人の言葉でいうと、落ち着かない、不安、という言葉だ。それが訴えるような鳴き声にでていて、何か耳につくように聞こえたのだと思った。
そして、何よりも母親の温かさを探し求めていた。これが生命の本能なのだと思った。
片方の腕を身体にくっつけるようにして子猫を抱きながら、もう片方の手で軽く子猫ちゃんに触れてみる。
その子の命の響きが伝わってきた。
鳴き続けていた子猫は、私の腕に乗ると、す~っと鳴くのを止めて、脇の方へ登っていく。誰が抱いても鳴き止まなかったので、みんな驚いていた。
子猫ちゃんからは、お母さんのお腹によじ登っていく感覚でいるのだと伝わってきた。腕と脇の間に顔をはさみながら、気持ちよさそうに足踏みを始めた。
お乳をすいたがってる。。お母さんのお乳が吸いたいんだと分かった。ごめんね~、お乳なくて。
多分、生まれて落ち着く場所を見つけられずにいたんだろう。お母さんと、兄弟の中にはさまれて、もみくちゃにされながら、おっぱいを吸う。そうして肌のぬくもりを感じる機会がなかったんだろう。
子猫の世話をしているお二人は、情が移るからなるべくふれないようにしているとおっしゃっていた。それもいた仕方ないのかもしれない。同時に子猫の鳴く意味も分かる。
多分生まれて初めてじゃないかな、落ち着けたのが。そして肌のぬくもりをじっくりと味わう機会が持てたのが。
そして、子猫は足踏みをしばらくつづけた後、私の腕の中で眠りに落ちた。
その間、子猫の生命と、私の生命の反応が起こり始めていたのが分かった。ここからは第2幕だ。
私は、子猫が抱えている不安やストレスが、できるだけ子猫のカラダの外へ抜ければいいと思った。
動物は反応がダイレクトで、しかも生命の深いところから反応する。ましてや生まれたての赤ちゃんだ。生命そのもの。
命が輝くための反応が起こる。
子猫は身体を時折ブルブルッと震わせ、溜まった不安や感情など、命の輝きを遮るものを手放し始めた。すごい量だった。人でも短時間でこれだけの量を解放することはめずらしいくらいだと思った。
子猫の全身が、「ブルブルブルブルッ」と震える。その後沈黙があって、また「ブルブルブルブルッ。」と体中が小刻みに震える。もう終わったかなと思ったら、また始まりそれがしばらく続いた。
これは、動物の本能が持つ、「ディスチャージ」という反応だ。カラダに溜まったストレスを無意識にカラダを震わすことで、カラダに溜めず、カラダの外へ逃がす方法だ。
私は、動物人間関わらず、生きる有機体から、この反応を引き起こすきっかけを与えることができる。その時に、受け手が変化に心を開いていたら、という条件つきだ。何事も強制はできない。
お母さんと離れたストレスが、この小さい命には重すぎるくらいの不安やストレスを抱えさせていたのか。
思えば人の子供は、20年間もの間、ずっと親から世話されて成長していくのだなあ。それ自体が奇跡のようなものだと思った。生まれてすぐ親と離れるのって、酷だなあ。
子猫が溜まった物を解放してリラックスしていくのにつれて、自分の身体もリラックスして呼吸が深まる。子猫につられて眠くなった。
子猫の神経系に自分の神経系が同調していくのが感じられた。
そうして10分くらいいただろうか。反応が一段落して、子猫が起きる準備が整っていくのが分かった。そうして自分の知覚もまた、鮮明になっていった。
ふう~。子猫ちゃん、お疲れさま。
その後で、子猫は今度はやさしい声でみゃーみゃー鳴き始めた。その変化に周りの人達も驚いていた。お腹減ったよねえ。
この子が元気で健やかに育ちますように。そう祈って食堂を後にした。
ひとつの生まれたばかりの命が自分に立ち寄っていった。そして私もまた、命の尊さを改めて思った。
命には命で接する。形は違っていても、人も動物も、生命に重いや軽いの違いはない。そこにあるのは、一つの命ともう一つの命だ。
生命という私たちの源。これが私たちの本質であって、そこにあるものだ。
人生の中で傷を負ったりして、何らかの形で、その生命の流れが遮られる。すると、私たちは、自分らしくない自分で生きていかざるを得ないのだ。
それが痛みだったり、不安などの感情であったりする。身体はいつもそれに気づいてとサインを送り続けている。逆に言えば、それらは自分らしさを取り戻す入り口とも言える。
あの子猫ちゃんに良い出会いがありますようにと、心から祈ります。生きてきて良かったと思えるような人生が待っていますように。
