からだの感覚に耳を傾けようとする時
いろいろな目の動き目が起こります。


感じようとして
そこでさらに感じながら動こうとする時、

目を閉じる人もいれば
視線が下がる人もいれば
視線が上がる人もいれば
目が寄る人もいれば
まばたきが止まっちゃう人もいれば
どっかいったみたいな視線になっちゃう人もいれば
眉間にしわがよる人もべーっだ!


おもしろいですよね~。


感じる時に目を閉じることは
視覚という私たちに多大な情報を与える器官をクローズすることで
感じやすくなったりしますね。


ただ!


目を閉じないと感じられない
…というのでは困り者。

だって、私たち、目を開けて生活しているし
普段の生活の中で
目を開けたまま感じられなくては意味が無い。

ちょっと余談になっちゃうけれど
瞑想も似ていますね。
目を閉じて瞑想した後、
目を開けた途端に瞑想時の平穏が消えてしまう人がいます。

目を閉じていても開けていても
できるだけ同じように感じられる
のが理想なのかな。



視線がいろいろなところにいくことに関しては
感じることでそうなる人もいるし、
感じずに頭で感じようとして(=考えて)そうなる人もいるし
集中し過ぎて頭に意識がいってしまっている人もいるし
これまたいろいろな理由があります。


ピラティスのように
動きを洗練するために動いていく時
上にあげたような視線の動きが起こりやすいかもしれないですね。
集中しすぎたり、
“あれ?これであってるのかな?”って考えちゃったり。


ヨガや気功や太極拳でも起こりうるけれど
こちらの場合は
感じることに意識がいきすぎて
目が“今ココにあらず”の状態になりやすいかも。


視線はシンプルに抽象的に言ってしまえば
“今ここにいる”という状態であるのが理想なのだと思います。

集中しているんだけれど
どこか一点をじーーーっと見ているわけではなく
感じているんだけれど
目がどこかに“ほけ~”といっちゃっているわけでもない感じ。


ピラティスのような少しシステマティックな動きをすると
どうしても集中し過ぎてしまったりしがちかもしれませんが
できるだけ、
やわらかい目のまま
視線に入ってくるものをただ受け入れるような
そんな感じの視線
でいられると
からだの奥に眠るところが使いやすくなりますよ☆

もちろん、日常生活でも☆☆☆

目の疲れは首、肩、頭にきます。
やさしい目目で生活していきたいですね♪