人は最期に「確かに愛したという実感と愛された記憶」しか残らない。

『今という時間は、人間の決断を除いて存在しない』(詩人・石原吉郎)

『私たちが「今だ」と直感し、「今でなくてはならぬ」と決断する瞬間だけ、今が私たちにとって存在する。このような決断がなければ、時間は永遠に私たちの外を流れるだけで、今という感動にみちた時間は私たちに存在しないのであり、今日も昨日も、あしたもおしなべておなじ、意味のない時間でしかない。「今だ」とつぶやいて立ちどまるとき、私は新しい次元の戸口に立つことになる。』(『望郷と海』より)

命のかけがえのなさやはかなさを知れば知るほど、「命の花」が開きます。そのことを思うと、花が散っていく瞬間を心にとめることがどれほど大切さかを感じます。瞬間を意味あるものにするものとは、一人ひとりの決断、心の働きなのだと思います。

「普通でないこと」「尋常でないこと」「滅多にないこと」、これがまさに「有り難し」≪ありがたし≫という言葉のもともとの意味です。

クライシス(危機)という単語は、ギリシャ語の「成長する」という意味の単語が語源になっていて、「分岐点で決定すること」からきています。

「クオリティ・オブ・デス」を考えることは、「クオリティ・オブ・ライフ」に思いを馳せることです。
〇尊厳のある生き方を選ぶ
〇自分らしく生きる
〇自分で決める…どう死ぬか=どう生きるか

『生は有限であり、不公平であり、苦であり栄光であります。それを受容すること、つまり天に任せることです。』

「生まれるときもひとり、最期もまたひとり」という人の定めを受け入れると、かけがえのない命を大切にして生きるとは何かの真髄が見えてくるはずです。