すっかり間があいてしまいました。
今年はようやく夏を満喫するように、忙しい8月を過ごしました。
フラメンコ仲間に感謝です。
いくつかの予定は母も一緒に連れていってあげたので、きっと母も楽しんでいたと思います
母が緊急入院になった日の続きを、書いていこうと思います。
駆けつけてくれた叔父家族と私たち家族で、病院の待合室の片隅で話していましたが、しばらくすると緩和外来の看護師さんに声をかけられました。
この日も放射線治療の予約が入っていたので、その受診のために私と兄が呼吸器内科に行っている間検温をしたところ、38度くらいの熱があると言われました。
恐らく肺腺がんの症状で発熱しているのであって、風邪やコロナということはないと思うとのことでした。
確かに母は自宅と病院しか移動していない日々でしたし、私もこの頃は基本的には母からほとんど離れず、離れざるを得ない時も今よりずっと全てに気を付けていたので、風邪すらひかないような生活でした。
ですがこの頃、病院は発熱している患者は予約を入れていてもその治療を受けることはできないとのことでした。
そして、入院することになったため、まずはPCR検査をして陰性であることを確認できるまでは、病棟に入ることもできないと言われました。
この頃、今よりずっとコロナは怖いものでしたから、それは致し方ないことだったと思います。
ただ、検査結果が出るまで一緒にいられるのかと思ったのですが、それも許可されなかったことだけは残念でした。
私だけでもずっとそばについていてあげたかった。
検査結果が出るまでは、他の検査結果待ちの患者さんもいる病室で1人で待機してもらうしかないとのことでした。
もちろんパーテーションなどで1人ずつベッドスペースは区切られているとの説明もありました。
私はコロナに感染するかもという心配はそれほどありませんでした。
ただ、寂しん坊の母を1人にさせることがイヤでした。
なんとか付き添わせてもらえないかと聞いてみましたが、ダメでした。
決まりなのであまり無理を言っても申し訳ないだけなので、あまり食い下がるようなことはできませんでした。
ただ、急な入院なので病棟に移ってからだったら、特別に30分だけ病室で面会してよいと言ってもらえました。
検査結果が出て病棟に移るのは、大体18時頃とのことで、私の携帯に電話をいただけることになりました。
母とは緩和ケア外来の診察室の前で、別れることになりました。
そこから看護師さんが連れて行くと。
「また後で来るからね」
そう母に声をかけると、母はうんうんと頷きました。
会話はできませんでした。
この日はマスクをすごく嫌がったので(きっと苦しかったのだと思います)、マスクを外した状態で看護師さんに車椅子を押されて行ったのだったかな…。
看護師さんには「よろしくお願いします」と母を託しました。
私は母の後ろ姿を見送るしかできませんでした。
残された兄と私に、叔父は「いったんどこかで食事をしよう。叔父さんがご馳走するよ。連絡がくるまで待とう」と声をかけてくれました。
病院のそばには特に何もないので、千葉駅まで行くことにしました。
従兄が大きな車で来てくれていたので、私たちも一緒に乗せて移動してくれることになりました。