2021年6月1日 緩和ケア放射線治療4日目。余命宣告。そのに。 | 母が肺がんで旅立ちました。

母が肺がんで旅立ちました。

タイトル通りのできごとです。
肺腺がんのステージⅢbと判明してから約1年3か月後、2021年6月10日に旅立ちました。
大好きな母がいなくなり、寂しくて仕方ない自分の気持ちの整理として、
判明してからのことを振り返ってブログにつづらせてください。

放射線照射4日目。

母に残された時間が少ないことを先生に告げられた日の続きです。

 

思い出したことがあるので、少し戻って、緩和ケア外来の主治医の先生と話したことを。

 

母の症状が急変してから、兄と母のことを話し合うことがありました。

母をどう過ごさせてあげるのが良いのかということです。

 

もともと行動的で社交的だった母。

兄からデイサービスを受けてみたらどうだろうと提案されました。

私は日々の看病で何も思いつくことができなかった間、兄は色々調べてくれていたようでした。

病院以外では外出せず、コロナ禍ということで訪ねてくる友人もどうしても少なく、兄と私との会話ばかりが中心の生活。

もっと外部からの刺激があれば、母の気持ちも明るくなるかもしれない。デイサービスで刺激を受けるのはどうだろうという提案でした。

私もそれはいいかもしれないと思いました。

 

なので、この日先生にデイサービスのことを相談しました。

先生も看護師さんも「それはいい。行けるようならぜひ行ってみてください」と賛成してくれました。

まずはケアマネさんに相談みることを勧めてくれました。

母に残された時間は少ないと言われたけれど、その残された時間を少しでも良いものにする努力をすることは止められませんでした。

 

また、この日に在宅診療の話も具体的に進めることになりました。

母はあまり聞こえていないのか先生たちと私たちが話している間、ずっと無関心な様子でしたが、看護師さんが「病院に通わなくても、診察をお家で受けられるようにしましょうね」と声をかけると「それはありがたい」と母は頷いていました。

 

この日の診察のことで思い出したのは以上です。

 

診察を終えて帰宅すると、母がなぜか「外に行く」と言い出しました。

4階までの階段を上って、すごく疲れているはずなのに。

「疲れてないの?」と聞いても「行く」と頑固に言い張るので、兄についていってもらうことにしました。

兄は優しいので嫌な顔ひとつせず、母の散歩に付き合うことを快諾してくれました。

 

階段の踊り場から母と兄を見送っていて、ふと動画を撮ろうと急いでスマホを取ってきました。

 

 

ズームにしようとして、上手くいかなくてぐちゃぐちゃな動画です。

諦めて写真を撮りました。

動画と写真の撮影日時は2021年6月1日15:20となっています。

母の生きている姿を撮影した、最後の写真と動画です。

 

しっかりと自分の足で歩いています。

痩せて身体は小さくなっていたけれど、4階までの階段の上り下りもしていたし、自分の足で歩いていたし、食が細くなってはいたけど食事もしていたし、トイレも自分で行けていました。

先生はいつ亡くなってもおかしくないと言ったけれど、まだ時間は残っていると私は思っていました。

 

母と兄が外出している間、私は友人にこの日余命宣告を受けたことをメールしていました。

 

メールで「覚悟はしているつもりだったけど、やっぱり悲しくて、寂しくて泣いてしまう」と素直な気持ちを書いていました。

そのメールの最後に出かけた母のことを「こんなときに当事者の母は、またしても何かスイッチが入ったらしく、どこかに行かなきゃ!と家を出て行ったよ笑い泣き 兄に付き合ってもらってる(笑)。こういうときはスタスタ歩くのよね~。不思議」と笑い話にしています(笑)。

 

母はスタスタ歩いていたようですね(笑)。

そして出かけてから約2時間後、母と兄がようやく帰ってきたとメールしています。

そう言えば夕飯の支度も終わって「いつ帰ってくるのかな~。私の歯科検診18:30からなんだよな~」と思っていたのを思い出しました。

 

私が送ったメールには、

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さっきようやく、病院帰ってきてからのルーチンとなりつつある母の「出かける」に付き合ってた兄が帰ってきました。

2人でどんぐり公園あたりを2周したそうで。

時間にして約2時間。

 

私のイメージする末期患者って、寝たきりに近いんだけど…。

どんだけアクティブ(笑)。

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と、やっぱり笑い話にしています(笑)。

公園を2周と言っても、休み休みだったらしいのですが。

友人は「お母さんおかえりなさい!すごいよお母さん」と笑い泣き

そして友人は毎年、千葉県産のとうもろこしをおすそ分けしてくれるのですが、この年は例年より早く、この日に届いたとのことで後で届けてくれました。

毎年美味しいとうもろこしで、母も私も楽しみにしていました。

今思えば、母に食べさせてくれるために神様がちょっとだけ早めてくれたのかな…なんて思います。

 

この日の母の治療日記
レスキュー:7:30、13:00、15:00、21:00の4回

睡眠:よく眠れた
お通じなし
食事:朝…どら焼き、アロエヨーグルト
    昼…白身魚野菜あんかけ、アボカドそれぞれ少し、水ようかん

    夜…焼き鮭1/4、カボチャのお味噌汁、冷奴1/3

メモ:21:30アンペック坐剤(モルヒネ)

兄のメモ:通院直後出かけたがり、2時間ほど外出散歩。