ほらでいっぱいの町にぼくのうそが白い息と共に流れてる -4ページ目

ほらでいっぱいの町にぼくのうそが白い息と共に流れてる

わたしはかもめ。飛べないかもめ。日記みたいなもの。


今日も仕出しや。

ありがたいことに、今日も目利きの効かないお客様が高い金をお支払頂いて三流料理をオーダーしてくださっております。(苦笑)

まぁ、本気の冗談はこの辺にして、今日は金曜日。今朝は『はなまるマーケット』の最終回を観ながら朝飯を食べました。
この番組を観ると東京生活を思い出します。
朝はオバサマ好みの低俗ワイドショーが乱立するなかで、あえてゴシップを排除した番組作りに共感して観ていましたが、最近はNHKの『あさイチ』を観ていました。
なんとなく、廃止が決まった鉄道線をノスタルジーだけで振り返る奴みたいで決まりが悪いのですが、ただただ、17年間お疲れさまでしたと言いたい気持ちです。

春が来たのは嬉しいけど、なんか、中途半端な気候より、早く夏が来ないかななんて思っている…俺。

本当にワガママですね。
今日はお仕事が暇なので、
読みかけの本を2冊読了した。

『茶漬け一膳 取次屋栄三⑤/岡本さとる』(祥伝社文庫)

今、ハマっている時代小説。
昨日の赤穂行きも、この文庫の古本を増税前に買いに行くという目的もあった。
シリーズ5冊目。
この巻では以前、登場した人物が後日談が繰り広げられている。
アマゾンのど素人書評で、「登場人物が多すぎる。」
と、書いてあったが、シリーズ物で登場人物が増えていくのは当然の話だし。
それをいちいち覚えられないなら本読むなぁ!って言ってやりたい。
(というか、その書評自体。自分は記憶力のない馬鹿なんですけどと堂々とカミングアウトしているようなものだと思うんだど(爆))
素晴らしい物語には素晴らしい登場人物がいる。
それがちょっとした脇役であったとしても、ふっと物語の中で再会する喜び。
シリーズ物の醍醐味っていうんでしょうかね。
仕事場には次巻を持ってこなかったので、帰ったらさっそく次を手に取ることでしょう。


『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー/高橋秀実』(新潮文庫)

4月からドラマ化されるらしい。
ただ、原作壊しで有名な日テレの土曜9時である。
まぁ、ドラマを見ることはないとは思いますが…。
帯に嵐の二宮和也さんが載っているけど、監督役なのかな。
本作を読みながら、いまいちイメージが合致しない。
まぁ、大好きな「東京バンドワゴン」を見事なほどミスキャストで放送した枠ですからね。
進学校として名高い開成高校の野球部は、
とにかく打って打って打ちまくるというスタイル。
一見、乱暴に思えるこのスタイルは、
ある意味では、開成高校という頭のいい選手たちだからこそ、出来た野球スタイルなのであった。
しかし、そのスタイルこそが、本来の野球のある形だったのかもしれない。
その意味は解説で述べられている桑田真澄さんの言葉で納得できる。
僕が好きな野球。
計算された「勝つ」ための野球ではなく。
本来、自分たちが持っているモノで投げこまれたボールを打つ。
晴れ渡る青空に白球が舞い上がっていく。
その姿が眩しくもあり。その躍動感に心打たれるんだと、
この本を読んで改めて思わせてもらった。

休み明けの仕出しや。
仕事量は2日前のサンブンノイチ。
11年居るから、そう云う職場だと理解しているものの、どこか釈然としないモヤモヤ感をいつも覚えている。

昨日は図書館で、思想的に反対の本を借りてみる。
買うまでもない。
以前、石原慎太郎さんの本を買って後悔したからである。

いまどき、右、左と思想的に分けるのは馬鹿げてると思っていたが、どうやら、ここに来て、はっきりと分別されていっているみたいだ。
それが、面白いことに思想的にボーダレスになってきたネットが、今では真逆にその役割を担ってきている。
原因は簡単な話。
それだけネット環境は普及したと云うことだろう。
駅のホームで、乗客を見てみたら、全員がスマホをいじっていた。
依存から卒業した身で見るとかなり不気味な光景にみえた。

便利さを追求していくのは悪いとは思わないが、ただ、半径0㎡で得た知識は果たして本当の知識なのだろうか?

時間がかかってもいいから、僕は自分自身の身体を使って理解したいと考えている。
表示された漢字を選ぶのと、書くことによって表示する。
いま、この状態がよくないんだよなぁ(笑)なんて矛盾しながら、ネットはあくまで悪友感覚で付き合うのがいいんじゃないだろうか?

常にスマホをいじっている人が、街角で見かける、無駄にいちゃついているカップルのようで、どうも居心地が悪いのです。