思い出なるままに 本州編前編 -1- | のんびり行こうよ どこまでも 

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ビキナーオヤジモデラーの奮闘記

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本州編前編  



昭和59年10月18日に愛車のRSに荷物をパッキングして横浜の自宅を出発した。

荷物の重さでバランスを取るのが難しくしばらくはヨロヨロとよろけながら走行していたが次第にバランスを取る要領もつかめて安定するようになってきた。

国道15号線で東京を目指して走り出した。荷物(大き目のスポーツバック)でタンデムシートは塞がりタンデムシートから左右に振り分けバックをつけてタンクには大きめのタンクバックが装着されてタンクバック上部には道路地図を開いて走行しながら確認できるようにゴム紐でとめた。私は前も後ろも荷物に挟まれた状態でライディングポジションを何とか取っていた。革のライディングスーツ上下は赤地に胸と腕と脚の側面に白のラインが入っていてブーツも赤地に脇に白のラインの入ったハーフブーツをはいてまるでウルトラマンのような出立ちであった。

革つなぎは腰でセパレートされるようになっていてつなぎの上から濃紺でスタンドカラーのライディングジャケットを着ていた。ジャケットの背中には82Rと黄色の糸で大きく刺繍をほどこしてあった。これは私の行きつけのバイクショップの屋号であったが私の中では誇りでもあったのだ。


YOKAHAMA RIDERS SPOT 82R

まだ若い青年が趣味で始めたようなショップであったが私には刺激的で店に寄るのが楽しかったのだ。愉快で個性的な仲間が集まっては冗談を言ったり単車の情報交換の場でもあったりしたのだ。当時は携帯電話もパソコンも普及されていないまるでアナログな時代であったので仲間と寄り合っては情報交換したりすることが貴重で楽しい時代でもあった。

そんな仲間たちと知り合えて仲間の思いも一緒に乗せて日本一周の旅をしようと思い、ジャケットをあつらえて今回の旅に着用しているのだ。

 国道15号線で北上して新橋を越して昭和通りを通過、車の流れに並行しながら上野まできて日光街道の案内板を見ながら国道4号線に入り草加バイパスを抜けて利根川を越した。次第に郊外に来たなと思われるような町並みに変わってきた。このバイパスはまだ開通したての道路で快適に走れた。単調で無機質な感じの景色は楽しくはないが文句も言えないので退屈しのぎに鼻歌を歌いながらクルージングで走り続けた。

単車のソロツーリングしかも日本一周という長旅は実に孤独であり自分との闘いでもある。

孤独だからこそ人との触れあいや出会いがありがたくもあり楽しくもあるのだ。

私は孤独に走りつつそんなことを考えていた。

「いったいどこまで続くんだろう?」果てしなく続く気がしてくるような殆んど曲がることのない単調なアスファルトが伸びていた。

宇都宮からようやく日光街道に入り景色も変わって気分転換ができた。

日光街道は4号線より車線も広くはなく杉並木は風情を感じられた。

今市から会津西街道に入った。本日の目的地は塩原温泉郷にしようと何となく決めていた。

秋の紅葉を追いかける旅が今回のテーマであるのでまずは日光の紅葉狩りとして峠道でもある日塩有料道路通称「もみじライン」を選んでみたのだ。

会津西街道から「もみじライン」に入り峠のつづら折れのワインディングロードを楽しんだ。「もみじライン」は総延長28キロで前半は15R、20Rという厳しいヘアピンカーブが続く道路で山並みの要所要所に紅葉が散りばめられているのだ。



のんびり行こうよ どこまでも 


荷物を満載してのコーナリングは難しいが面白くてブイブイと走っていたがさすがにヘアピンばかり続くワインディングはきつくて目が回ってしまった。

峠を上りきったところでワインディングも終わり駐車場があり休憩できる場所があったので駐車場に単車を停めて休憩した。周りは紅葉し始めていてきれいだった。

紅葉を満喫した私は再び愛車にまたがり塩原に向けて走り始めた。

時刻は4時をまわって辺りも暗くなり始めていささか不安な気持ちになったが塩原温泉郷に入ったら町の明かりで少し安堵感を覚えた。宿泊先は現地に行けば何とかなると気楽に思っていたのでまずは観光案内所で安い宿を紹介してもらった。

観光案内所で一軒の民宿を紹介してもらい飛び込み状態で行ってみたが快く受け入れてくれて食事の用意までしてもらえて感謝しきりであった。

お風呂はもちろん温泉で露天に東屋があってなかなかの風情で身体も温まり疲れもとれた。

食事と入浴を済ませた私は疲れが出たのか床について泥のように深い眠りについた。