プロローグ
人生なんて面白いものだ。
昭和59年1月27日午後8時35分、久しぶりに早めに仕事を終えたので愛車のホンダCBX250RSにまたがり行きつけのバイク屋に以前バイク屋で壊されたホーンのスイッチを交換に行く途中で悲劇は起きた、、、、鎌倉街道の上り車線、片側2車線の前方で、左に寄せてタクシーが右ウインカーを点滅させて停車していた、発進させるなと思ったので単車を減速させつつも嫌な予感がしたので右車線に寄ってタクシーを警戒しながら走った。
タクシーは左車線から右車線を横切る形で左車線上で一時停車したので後方確認してこちらに気づいたと思って単車を加速させた途端にタクシーが一挙に転回をしながら発進したのだ。
まるでストップモーションのように一コマづつ車が近づいてきた激しい衝撃音と衝撃がした次の瞬間単車ごと車を飛び越して空中で大きく弧を描いて飛んでいた。
夜の闇に単車のヘッドライトが大きくゆっくりと弧を描いて単車と私は飛んでいた。
人生が走馬灯のように頭の中を駆け巡ると言うがまさしくその通りだった。
空中を飛びながら私は今までの人生をまるでパラパラ漫画でも見るかのように一挙に駆け巡って見ていた。そして最後に単車のローンがまだ残ってるしやりたいことがまだあるし「死にたくない!!」と心の中で叫んでいた。21歳になる手前で私の人生は幕を降ろそうとしていたのだ。
ドスンという激しい衝撃が背中にして私は激痛を覚えながらもその激痛が生きてる証しであることに喜びを噛みしめた。
背中からまともにアスファルトに叩きつけられて呼吸ができず苦しみもがいた、手がしびれて思うようにヘルメットのあご紐がはずせないでいると反対車線に居合わせた目撃者が助けに来てくれた。
しばらくすると救急車が来て救急指定病院に搬送された。
私は初めて乗る救急車と事故の興奮で同乗の救急隊員にしきりに話をしていた。
病院の診察結果は全身打撲と頚椎捻挫(ムチ打ち)とのことで帰宅して良いと言われたものの腰が痛くて歩ける状態でないと医者に訴えたらじゃあ入院しますか?との対応にはいささか拍子抜けな感じがしたのだ。
入院した晩に病室に両親が駆けつけてきて母親は病室に入って私の顔を見るなり大崩れして泣き始めた、、、、、オレまだ生きてるのにそんなに泣くなよ。と困り果てたのだ。
私は腰の痛みが取れればすぐに退院できると思っていたのだがムチ打ちの後遺症で退院は60日経ってからだった。
私はバカが付くくらいに単車が好きであった。退院一週間前に外出許可をもらって原付で走行してみたが事故の恐怖で車を見ると全身に悪寒と震えがして運転どころではなかったが気力で恐怖心を振り切って走り続けた。
退院して早速バイク屋に足を運んで2台目の品定めをした。
バイク屋のオヤジはまだ慣らし運転中の新車を事故で失ったことに同情してかなりの値引きをしてくれた。2台目も同車種にしたのだがそれは部品の移植が出来て経済的であるという配慮と私の単車への思い入れもあってそうなったのだ。
1台目は走行距離が僅か2千㌔であった。そして物語の始まりはここから始まるのであった。