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先日のラース・フォン・トリアー監督の『奇跡の海』に引き続き、同監督の『メランコリア』です
この作品以降は、変態路線へ突っ走ってしまったので観ていません
観た中では、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が1番好きです
救いがないとよく書かれていますが、救いはありましたよ~
また、暗いから嫌いだとか鬱映画だとか散々言われていますが、「鬱映画」と書くこと自体が鬱で苦しんでいる方への差別、偏見ではないでしょうか。
【解説】『アンチクライスト』などの鬼才ラース・フォン・トリアー監督が、『スパイダーマン』シリーズのキルステン・ダンストを主演に迎えた終末観漂う人間ドラマ。
惑星との衝突を目前に控え、残り時間の少ない地球を舞台に、うつろな心を抱えた花嫁と彼女を取り巻く人々の人間模様を映し出す。
ヒロインの姉をシャルロット・ゲンズブールが演じ、その夫をキーファー・サザーランドが演じている。神秘的で美しい地球の最期の姿に心揺さぶられる。
以下、ネタばれの感想です。
「憂鬱に支配された人間は普通の人間よりも大きな可能性を秘めている。
彼らは最悪の状況を常に想定していて実際に悲惨は事が起こった時には
普通の人々よりもずっと上手く対応できるんだ」
と監督はパンフに書かれていますが、これは興味深いですね。
誰もがつつがない人生を望みますが、病気や何かの痛みに苦しんで、あちこちでつまづくからこそ人の痛みや気持ちが分かるようになり、本当の強さ持っている事が多いです。
全ての人がそうとは限りませんが…。
そして明日、地球が滅亡すると知ったら今まで感じていたある種の『絶望や不安』がちっぽけに思えて、それどころではなくなってしまうんです。
大きな絶望は小さな絶望を凌駕するのかもしれません。
私は最近思います。
病気だって鬱だって対人恐怖症だって引きこもりだっていいじゃない?と。
それも自分の一部なのだから。
けれど、偏見を持っている人は「前は鬱気味だったけど今は治った」と自己弁護し、鬱と診断されたことがない人間は『無意識に』鬱の人を見下そうとする。
自分の理解できない人間を批判し排除しようとする。
鬱じゃなくても、ジャスティンの両親のように、少し変わった事を言ったり、やったりするだけで変人扱いをします。
それらを象徴するのがクレアの夫ジョンです。
ジャスティンは自分をコントロールできないだけで、自分にとって真の幸せとは何かを直感で解っています。
だからクレアの夫がお金をつぎ込んだ取り引きとして「結婚して幸せになる事」や新郎が贈った果樹園の写真にも無関心です。
優しい夫や物質的なものでは自分が幸せになれないと知っていたんですね。
もはや失うものがなくなったジャスティンは一番強い人間でした。
これに対して「絶対に衝突しない」と思っていたクレアの夫は、想定外の事が起きたら
恐れのあまり妻子をおいて、あんなことをしてしまう最も弱い人間。
クレアは思いやりがあって妹の面倒を見るごく普通の人間です。
でも「時々、あなたが憎くてたまらなくなる」と言います。
多少人と違っていても、苦しみながらも自分らしくあることを選択し、周りを振り回しても自分に正直な生き方をする妹に対する『嫉妬』からくる言葉だとも解釈できます。
そして、いよいよという時は子供の未来を心配するあまり、恐怖を感じて動揺してしまうのです。
『恐れ』に支配されている状態です。
だから魔法のシェルターの中にいても、最後には子供の手を放してしまいます。
自分が怖いからです。
だけど恐れのないジャスティンは手を放しませんでした。
子供は魔法のシェルターが守ってくれると純粋に信じてるのでクレアのような恐れは感じていません。
愛する人の死、自分の病気や死を恐れるのは当然ですが、鬱であろうとなかろうと、健康であるか否かも関係なく、恐れるものがないことが人生最大の武器であり幸せであり、最も強い人間であることの証なのです。
それには、苦難が起こった時に、『魔法のシェルター』のような、ちょっとした想像力と
柔軟な心が必要なんですね。
『奇跡の海』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『アンチクライスト』」でも人間の不器用さ、傲慢さ、未熟さなどの人間の弱い(闇の)部分をこれでもかと見せつけられるので、自分の中にある同じ部分に感応して殆どの人が嫌な気分になるのは解ります。だけど…
闇があるから光が際立つ。
絶望があるからこそ希望を見出すことができる。
そこを解っていて、ラストにちゃんと救いを用意してくれ、かつ中々体感できない精神世界を美しい映像と音楽を一体化して見せてくれます。
「この世は地獄であの世は天国」という言葉があるように、『死は試練からの解放』という観点から考えると、死=絶望(救いがない)ではないということになるのでは。
だから監督はこの結末はハッピーエンドと言われているのです。
日本人はそうは思えないようですが…。
トリアー監督は一見、宗教を嫌っているように思われますが
日本人と違って生まれた時から宗教と無関係ではいられない環境で育っているので、
どうしても作品に反映されています。
だからこそ、宗教の欠点を理解しながらも、シャマラン監督のように、
独自の世界観を持っている監督だと思うのです。
