今日の発表は、正直、ずっと緊張していた。
何度も原稿を修正して、声に出して練習して、
スライドの流れも全部見直した。
提出ギリギリまで「これでいいのかな」と迷い続けて、
それでも自分なりの形に仕上げた。
だからこそ、発表が終わった瞬間、
先生に言われた最初のひと言――
「構成はよくできていますね」
その言葉に、心の中でそっと安堵したのを覚えている。
ああ、ちゃんと伝わったんだ、と。
積み重ねてきた時間が、少しだけ報われた気がした。
……のに。
数秒後、先生の口から出てきたのは、
「AI、どれくらい使いましたか?」
だった。
一瞬、頭の中が真っ白になった。
さっきの「構成はいい」が、
まるで前フリだったかのように反転して聞こえた。
褒められた喜びが、その質問で一気に緊張と戸惑いに変わった。
正直、胸の奥に小さな刺が刺さるような気持ちだった。
もちろん、私はAIを使った。
でも、それは単なる補助だ。
機械的な作業の短縮や、ちょっとした言い回しの確認、
資料に必要な情報の“検索”レベル。
構成も、話す順番も、論点の整理も、自分で考えた。
時間をかけて。
“悩んで”。
AIが一瞬で作るものとはまったく違う。
けれど、その場ではうまく説明できなかった。
「使いました」と言った瞬間に、
全部が“AIのおかげ”に聞こえそうで怖かった。
自分の努力が薄っぺらく扱われるような気がして、
言葉が喉に貼りついた。
しかも、前に発表した同級生たちには
「話し方に余裕があった」
「準備が丁寧だった」
「聞き手を意識した構成だった」
など、全体的な評価がちゃんとあった。
その上で、改善点を丁寧に指摘する講評だった。
だから、余計に思ってしまう。
「私……そんなにダメだった?」
AIを使ったことを責められたというより、
“私自身を見てもらえなかった”ような気がしたのだ。
でも、時間が経つにつれて、少し考えられるようになった。
先生が言いたかったのは、
「AIは便利だけれど、依存するな」
「AIを使うなら、自分で考える部分をしっかり残しなさい」
というメッセージだったのかもしれない。
その考えには私も賛成だ。
私自身、AIと向き合うときに気をつけていることがいくつかある。
たとえば、
1.文章の骨組みは必ず自分で決める AIに丸投げすると、
どこか“他人の言葉”になる。 説得力も消えるし、話すときに自分の声にならない。
2. AIに聞くのは「整理」と「確認」だけ
「これって日本語として変じゃない?」
「重要な観点が抜けてない?」 そういうチェックはけっこう助かる。
3.答え合わせとしてのAI活用 自分で考えた後にAIに確認すると、
視点が広がる。
逆に、AIの返答をうのみにせず、必ず比較するようにしている。
また問いに答えるAI以外にも、
「作業を補助するAI(ツール系)」
画像のクリア化、背景除去、ノイズ取り、トリミング。
こういう作業はAIが圧倒的に速い。
例えば、発表に使った写真を少し鮮明にしたり、
余計な背景を消したり。
こういうのはむしろAIに任せる方が効率的だし、
“自分の力が失われる”タイプの作業じゃない。
むしろ、時間を節約して「考えるべき部分」に集中できる。
ただし、ツール系AIにも注意点はある。
乃木坂の写真からロゴだけ抜きたい、とか、
著作物を勝手にいじる、とか。
やってはいけないラインを越えると、一気にアウトになる。
便利と危険の距離が近いのがツールAIだ。
「作品を生み出すAI(生成AI)」
ロゴ、イラスト、音声、文章。
生成AIはとても楽しいし、創作の幅も広がる。
ただし、ここが一番“線引きが難しい”。
たとえば、
● 趣味・遊び → 問題なし。自由に工夫していい。
● 商業利用・公式発表・企業案件 → クリエイターの権利や著作権、
出所不明データのリスク、倫理問題が一気に絡む。
前回、ほかの授業のグループ発表で、
LogoMaker.Designを使ってロゴを作ってみた。
あのときのロゴは、
正直そこまで深くデザインを考えたわけではない。
みんなで「これ可愛い」「この形おもしろい」と言いながら、
AIが一瞬で生成してくれる案の中から、
“ノリと雰囲気”で選んだだけだ。
授業用の、いわば“軽い作品”だったからこそ、
それで十分だったし、
生成AIでロゴがサクッと出来る便利さを素直に楽しめた。
スライドにロゴが入るだけで発表にちょっとした遊び心が生まれ、
メンバーも「いいじゃん!」
と盛り上がって、自然とチームのまとまりもよくなった。
でも、もしこれが――
企業説明会の資料、外部に出すコンペ作品、
公式PRのデザインだったら。
あのノリで選んだロゴをそのまま使う勇気は、
さすがにないと思う。
正式な場面なら、
AIの生成結果をそのまま作品として採用するのではなく、
あくまで参考案として見る、 構図の素材として取り込む、
そこに自分のイメージや意図をしっかり混ぜて組み立て直す、
そういうプロセスが絶対に必要になる。
軽い用途ではAIのランダム性を楽しめるけれど、
責任が発生する場面では人間の判断が中心に来なければいけない。
この線引きができるかどうかこそ、
これからの時代に求められる本当の AIリテラシーなんだと思う。
AIとどう向き合うか、
自分の努力をどう守るか、
どこまでをAIに任せ、どこからを人間として背負うのか。
考えれば考えるほど、簡単じゃないテーマだ。
でも同時に、ひとつだけ確信したことがある。
私はAIを「自分の代わり」にはしない。
AIはあくまで「自分の表現を広げる道具」。
問いに答えてくれるアシスタントであり、
作業を手伝うツールであり、 ときどき遊び心を刺激してくれる相棒だ。
主導権は、私が握る。
今日の悔しさも、先生の言葉も、胸の奥に残ったモヤモヤも。
全部ひっくるめて、これからの自分の糧にしていきたい。

