例えば、美容院に行くとして、その帰りにコンビニで偶然目に留まった新書やらコンビニ本(マンガのダイジェスト版)を買ったとすると、そういうあらかじめ予定になかったことで手に入るものが長年部屋にあるラインナップであったりする。これを運命と呼ぶにはいささかオオゲサかもしれないが、字義は間違ってはいない。むしろ私にはしっくりとくる言葉。

 

そもそもなぜ本棚が偶然であふれているのか考えてみると、常に私が雑多なことを頭に収めて自分の未来に思いを馳せていたのであろうことがわかる。本の内容を一瞥すると、ジャンルや発行年、出版社に全く法則性がない。それに、本を読む理由は基本ない。アメーバのように人の興味は自在に変化していくし、よく考えてみれば当然のことだった。

 

だからといって本棚にあるものは偶然にして残ったものなのか。よく売ったり買ったりして本をふるいにかけてみると、いつまでも残っているものがある。これは本一つ一つに問題提起があるとすれば、残っているものはまだ自分の中では解決できていないものだとわかるがこれも当然のことで、処分できない人はよく「まだ使える」と言ったりするあれと似たようなものだ。

 

運命とは、人が知識を蓄えていくファクターであり、これが数多くの「捨てられない人」を生み出すのだろうと断捨離を拒む芸人を回想して今回結論に至ったとしよう。