さっきアジカンのボーカル、後藤正文さんのラジオをYouTubeで見ました。

彼曰く、曲そのものが作曲者を示すわけではなく、フィクションやノンフィクションが分断できないほどに入り混じっているものが曲であると仰っていました。

大学の文学講義でも、詩は作者の目に映るものが描写されてはいるけれど、作者自身は出てこないんだよね。大体が広大な風景であったり、現代社会を風刺したものであったり。

まさか教授とゴッチが言っていることがリンクしているとは、すこし感激でした。