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初めまして
くるみと申します
アラカン 女性 九州の田舎在住
定年間近で上場企業に勤めて20年の会社員
波乱万丈な結婚生活でうつ病、難病を発症し、12年前に離婚
子供4人はそれぞれ自立し、孫が5人
2年半前に念願のマイホームを購入
しそこそこ幸せなシングルライフを
満喫中
推し活&スピリチュアル大好き
と ご挨拶をさせていただくと、私自身が心豊かで安定した生活を送っていると
思われたかと思います
しかし、私はある決断を下しました・・・
「20年勤めあげ、あと2年で定年を迎える予定でしたが、
昨年末、上司に 『退職届』 を提出しました
信じられませんよね
私自身もまさか自分が20年も務めた上場企業を辞めるなんて
思ってもみませんでしたから・・・
この後に、お届け差し上げる私のストーリーを、ある某都市でインターネット関連の会社を起業されている男性社長に、お話しする機会がありまして、
その社長さんから
「くるみさんのこれまでの人生経験は面白いよ!
その経験をブログで作品化して、
多くの人に感動を届けてあげてください」
と言われたのです
そこで、全くのIT音痴で素人だった私が、
一念発起してこうして私自身の経験をストーリー化し、今あなたへ
お届けしているのです
主婦だった私が会社勤めをしたきっかけから、うつ病、離婚、マイホーム購入、そして会社員を卒業して新たな人生を踏み出した今・・・
どうぞお読みくださいね
嫁ぎ先の自営業が倒産し会社員になる
23歳で船舶関係の自営業を営む長男に嫁ぎました。
自営業の事務作業と大家族の家事はとてもハードワークでした。
4人の子供(男2人、女2人)に恵まれて忙しいながらも愛しい子育てはとても楽しかったです
結婚生活13年目くらいの時、港湾土木で下請けでの仕事をしていると、ある日突然、元請けの会社が倒産して手元にある手形がダダの紙切れになってしまいました。
ショックで体の力が抜けてその場に座り込んだのを覚えています
その日を境に我が家は貧乏まっしぐらへと転落して行きました。
私は家計を助けるために医療関係の大手企業の就職試験を受けました。年齢制限が35歳まで、その時私は37歳だったけどダメもとで履歴書を郵送しました。
一時は通過して二次試験は面接と適性検査でした。倍率は高かったけど無事に合格して私は晴れて会社員となりました。
ダメもとでも諦めないことの大切さを知った出来事でした
うつ病発症~離婚へ
働いても働いても家計は楽にはなりませんでした。
それどころか生活費が足りず私の借金は増えて支払いも増えていきました。
夫は県外に出稼ぎに行き、義父母と子供達との生活になりました。
お金の切れ目が縁の切れ目とはよく言ったもので、義母はお金がないストレスのはけ口を私に向けて来ました。
私に「貧乏神」と吐き捨てました‼ 私は心をえぐられるようでした
言葉の暴力は頻繫にありました。
義父は変な病気があり、一人暮らしをしている私の母へ手を出そうとして、母は昼間でも鍵を締めカーテンを閉めて居留守状態を続けました。
こんな屈辱的なことはない。母も私も苦しみました
こんな義父母と同じ屋根の下で生活することは私にとっては拷問でした
私は苦しすぎて自分のための人生を捨てて、子供達のためだけの人生を生きようと決めました
でも、こんな義父母でも子供達にとっては血がつながった祖父母・・・
子供達が傷つかないように、そして人として大切なこと正しいことが分かる人に育てたい、その一心でした。
子供に依存しなければ生きて行くことができませんでした。
自分が傷ついた経験をしたからこそ私は人を傷つけないことを肝に銘じました
家事と仕事ををこなすために、睡眠時間を削って馬車馬のように働き続け、いつしか
体も心も完全に崩壊して、うつ病とへバーデン結節(膠原病)を発症しました。
手指の第一関節が一本ずつ劇痛を伴い変形していく治療法のない難病です。
皆さん自分のことはくれぐれも大切にしてくださいね
病気と闘いながら、お金のために仕事を続けることで病気はますます悪化し、私から笑顔は消え、精神は制御不能になりました
そんな私を見かねた私の兄と弟が私を救済してくれました。
夫に離婚をしてくれないかと話をしてくれたのです。
そして23年間の波乱万丈な結婚生活に終止符を打ちました
シングルマザーとしての人生スタート
離婚して一人暮らしの母の元に着の身着のままで身を寄せました。
長女は県外に進学、長男は県外に就職、二男は地元に就職していました。二女は中学2年生だったので親権は私が取り二女と愛犬を連れて実家に帰りました。
うつ病を患う私に母は何も言わず私と娘の身の回りの世話をしてくれました。
母親の無償の愛を感じありがたかったです
治療しながらも心身の状態はとても働けるような状態ではなかったけれど、長女の進学のため、二女の養育のため、自分の生活のため、重たい心と体を気合で奮い立たせて毎日仕事に通いました。
会社ではクビになっては困るので、病気を患っていることがバレないように振る舞っていました。これが又とても辛かったです。
しかし大量の薬の副作用で意識がもうろうとして何度も交通事故を起こし車が廃車になったこともありました。自殺願望もあり常に死と隣り合わせでした。
でも、「子供の夢を叶えたい、そのためなら私は命をかける」そんな思いで只々前だけを見て走り続けました。
病気は辛かったけれど私が頑張ることで子供達もそれぞれの道を力強く切り開いてくれました 一人一人大きな夢を持って
私の生き様は子供達の心に「大切な何か」を深く刻んでくれたようです。
病気は死ぬほど辛かったけれどその反面
愛する子供達の頑張りや成長の過程を見るのは私にとってこの上ない幸福感でした
「生きたい」そう心から思う瞬間でもありました。
この様な環境が私たち親子の絆をより深くより強固なものに育ててくれました
私の命がけの愛情を子供達はしっかりと受け取ってくれて子供達から私への愛情も私には負けないくらい深く暖かいです
世界一の親子関係です
今となっては地獄だと思っていたあの環境が、実はとても大切な神様からのギフトであったと気付きました
うつ病克服~スピリチュアルとの奇跡の出会い
自分のための人生を捨てて子供達のための人生を生きていた私。
離婚当時、中学2年生だった娘も高校3年生になり福岡へ進学する日が来ました。
今から8年前のことです。
うつ病は随分回復していたものの、末っ子の娘が私の手元から離れていく。
私はその日が来るのがとても恐怖でした
最後の子供が巣立つこと、それは私の生きる目的が無くなる時でもあったからです。
主治医に娘が巣立つまでに自分の生きがいを見つけるようにとカウンセリングを受けていましたが見つけることはできず相変わらず子供だけが命でした。
遂に来たその恐怖の日、福岡へ向かう娘を号泣しながら見送ったあと私は完全に抜け殻になっていました
明日からどうやって生きていこう?仕事にも行けるだろうか?娘が居ない家に帰りたくない・・・
私は生きる目的を見失ってしまい、どん底に堕ちていました
その時、見知らぬ若い女性が私に声をかけて来ました。
「どこか痛いところはないですか?西洋医学で治らない病気が改善するかもしれませんよ」とその女性は私にヒーリングしエネルギーを送ってくれました。
エネルギー療法と言い自己治癒力を高めて自分主導で病気を治す方法でした。
余りにもできすぎたタイミングだったので私は何か来た‼と思いました。
これが私とスピリチュアルとの衝撃的な出会いでした
私はエネルギー療法に魅了され学び始めました。
うつ病は1か月程で完全に克服できました
へバーデン結節の劇痛も随分楽になりました。
学んでいく中で宇宙やハイヤーセルフの存在を知り、現実に起こることに偶然は何一つなくそれには意味があり魂が成長するためだと知り驚きました
私は自分のための人生を生きることができるようになりました。
その頃子供達にも奇跡的な良いことが次々と起こりました
極めつけは、何と、念願のマイホームを手に入れることができたのです
宇宙(神様)と繋がることで人生は劇的に好転します
会社を退職し次のステージで自分の夢を叶える
私は大手の臨床検査の会社に20年勤めました。
入社して半年目、幼い頃から病弱な二女(5歳)にリンパ腫が見つかり地元の大きな病院で摘出手術をすることになりました。
術前、術後の血液検査や手術で摘出したリンパ腫の組織検査などが私の会社に出検されました。検査結果をもとに手術日が決まったり、摘出したリンパ腫の病変状態を見たり、術後の経過を観察したりと検査の大切さを深く知ることになりました。
「血液1本の向こうに患者さんの命がある」ことを身をもって体験したことにより、この会社でこの仕事をすることに対して、誰よりも責任感と使命感を強く持って働いてきたつもりです。
病気を患いながらもそれを忘れたことはありませんでした。
やがてうつ病も良くなり心も体も元気になり仕事もスムーズにこなすことができるようになっていました。借金も少しずつ減り生活も段々と楽になっていました。
しかし長年働いていると会社の状況も変化し社長が変わるたびに経営方針も変わり、明らかに目先の利益追求型になっていきました。
企業としては当然のことだとは思いますが・・・
お客様目線から離れていき、待遇は上がらない割に業務負荷は増えていきました。
こんな会社じゃなかったよな~私は違和感を感じていました。
この会社で働く誇りや使命感は徐々に薄れていました。
社内でも不平不満や愚痴が多くなり私も同調して一緒に不平不満や愚痴を口にしていて、こんな自分が嫌になっていました。
様々なストレスが重なって最近は体調を壊すことが多くなっていました。
体は正直ですね。度重なる体調不良は私へのサインだったのです。
職場に行くと体が重くなるのを感じて、ヤバいこのままではうつ病が再発する。
もうこの愛の感じられない職場に居るのは無理なのだと認識しこの会社を退職することを決断しました。
とは言え長年この会社で働かせて頂いたお陰で日々の生活ができ、そして子供達の夢を叶えることができ、念願のマイホームを購入することもできました。
心から感謝しています
学びを終えた会社からの卒業です。
会社員を卒業して新しい環境で私の夢を追いかけたいと思っています
子供達に笑顔で生き生きと人生を楽しむ母親の姿を見せたいです
まだまだ子供達には負けないぞ~
人生まだまだこれから、大輪の花を咲かせるよ~
ネットの世界、お金の知識を正しく学びながら在宅ワークで生涯年金の準備を私と一緒にしませんか?
最後までお読みいただきありがとうございました。 くるみ
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あなたのお悩みや夢を聞かせてくださいね
8年前からヒーリング(エネルギー療法)の勉強をしています。
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病気を改善する方法などもお伝えします。
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