G県某所の白山神社のある部落には醤油を作りそれを生業とする一族が住み着いていました。
幸いなことに商いは順調に進み財をためこむことができました。
 

T1郎には男の子が何人もおり長男に醬油工場を継がせることにした。

次男は兄弟の中でも稼業よりも本を読んだり勉強をするのを好む文学青年だったのでこの次男A3郎に家庭教師をつけて東京商科大学(現:一橋大学)へ進学させました。

そこで学んだ次男は兄の稼業の手伝いになればと思いそのころ先端であった上海へ渡ったのです。


A3郎は日本は白米が主食であるが上海では小麦を使ったパンであるとかパスタのような多国籍料理が多く、これを日本に持ち帰り小麦を普及させようとしました。
しかしなかなかうまくいかず、その頃よく出入りしていた社交場に中国人のみなしごの美しいFという少女がいてTはその女給とすぐ懇ろになった。

Fは美しい顔に似合わずアメリカ人や英国人商社の社員や大使館員との太いパイプを持っているようなやり手でした。


それらを日本に持ち帰り父や兄に相談し粉屋を開業することになった。


これらの加工品は戦争特需に沸く日本でおお受けし、S田醤油も大企業の仲間入りとなったので本家と分家を分け
本家はS田醤油。分家はS田製粉と兄弟会社として順調に業績を伸ばしていたのです。

A3郎は未だ独身の身ではあったが女中の一人に手を出し一人のAという女の子を授かっていた。


しかし大戦景気と成金の登場の真っただ中で上り調子のS田家にはあるコンプレックスが縁組を妨げていた。

良家の子女は貧民の出であるS田家には嫁いでくれるはずもなくそこで白羽の矢が立ったあの上海の中国人孤児のFだ。
Fには身寄りがないので戸籍はお金でどうとでもなるのだ、当時上海にいた鍋島侯爵家の家来筋にあたる副島某という男に目を付けた。

19歳の時Fは日本に渡りS田家に金で買った士族の娘になりすましS田家にまんまと入り込み2男2女を生みました。

長男のIは東大法学部を卒業し「日本銀行監事」「預金保険機構理事」妻は祖父が浜口元総理の孫で東京銀行頭取浜口氏次女を娶り日本の金融を牛耳る一族に入り込ませました。

そして長女M子が生まれ、のちに皇族に入り込みます。

妹のE子は、昭和電工の社長・A西M夫氏の長男・T之氏と結婚しています。

実弟のOは、東京大学法学部、日本興業銀行を経て、家業である〇清製粉をついでおります。

 

そして女中の子であるAは同じ兄弟として育てられず生まれたときから女中の子としてそだっていましたが、礼儀作法にだけはきびしく育てられたそうです。