突然ですが、私は常にインターネットを見てるようなヲタクなので様々な炎上を見ています。

勿論、「いやまぁこれは炎上して当然だろうな…」って思うものもありますが、

中には「はぁ???」と言いたくなるような炎上も多く見受けられます。

 

そして、私はその炎上コンテンツに対する人の向き合い方にある共通点を見出しました。

…ので今日はそれを話したいと思います。

 

ちょっと長くなりますが

全人類、問答無用で読め。

 

まず最初に、近年の2つの炎上の例を上げたいと思う。

 

➀「#〇〇〇反省会」

 

具体的に名前を出すとアレなので名前は出しませんが、去年、朝ドラの某作品が炎上しました。

(あ、最近なんか歴史的建造物の撮影であったらしいけど今回はそっちには触れません)

 

その炎上理由は「面白くないから」。

まぁ面白くないと感じてしまって

「正直、私には合わなかったな……」

って言うだけならば別に個人の感想の範疇を出ないし問題は無いかもしれない。

が、問題はその盛り上がり方だった。

 

SNSで「#〇〇〇(作品のタイトル)反省会」

と称してネット民が勝手に反省会をし始めたのだ。

 

製作スタッフでもキャストでもない人間が勝手に反省会と称して「この作品は駄目だ」と否定をし、好き勝手言うだけでも充分リスペクトや配慮に欠けた行為ではあるが、更に問題なのはその内容。

中には作品の評価としてしっかり考察や改善点に付いて考えて発言している人も居たが、

わざと大袈裟に言ったり、過激な表現を用いたり、あからさまに炎上を面白がっていたりとで正直観ていない私ですら大分不快になる盛り上がり方と言わざるをえなかった。

 

挙げ句の果てには「この作品はこうやって反省会でもしなきゃ楽しめないんだからしょうがない」

と作品の出来が悪いのが悪いんだと正当化する発言も見受けられた。

 

が、残念ながらこのような炎上は珍しくない。

私はニチアサ(※プリキュアとかライダーとか戦隊とかの事)のヲタクだが、

ニチアサでもそういう楽しみ方をする人間は大勢居る。別にネットミームを作ったり、感想を言い合ったりすることが悪いとは全く思っていない。

 

それによって作品が盛り上がったり、キャストや制作陣の活力になる場合も沢山ある。そういう盛り上がり方なら私も大好きだし、積極的に盛り上げたいと思う。

が、勝手に作品の反省会と称して好き勝手言うことが良い盛り上げ方だとは、残念ながら私には思えないのが本音だ。

 

②パンケーキ炎上事件

 

これは「ある海王星っぽい名前のお笑いトリオ」が司会を努める人気バラエティ番組の1コーナーで起きた炎上事件だ。

 

そのコーナーでは有名なチェーン店が自分達のお店の自信がある商品を料理界でも有名な一流シェフに食べてもらい評価を受けるというコーナーだ。

 

7人のシェフがプロの視点から評価をして、過半数が合格の札を上げれば合格。そうでなければ不合格。というルール。

 

シンプルで分かりやすく、一見すれば何も炎上することは無いように思える。

 

が、何故炎上したのか?

それはズバリ、「パンケーキに悪い評価を付けたから」である。

 

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正直、私は最初にこれを聞いたときな意味が分からなかった。

だってこれは元から「有名なチェーン店が人気商品をプロに食べてもらい、評価を受ける」というコンセプトの番組なはずだ。

 

チェーン店側からすれば、

「良い評価を貰えればその商品の宣伝に、悪い評価を受ければそれを元に料理を改善できる」

と思いプロのシェフに評価をお願いしているはずで、悪い評価や厳しい言葉を受けることも覚悟の上で、いや寧ろプロのシェフからの意見を聞ける貴重な機会としてありがたく思っているはずだ。

 

ではシェフの言い方に問題があったのか?

先程の「#〇〇〇反省会」の時にも話したが、意見や感想を言うにしたって言い方というものは確かにある。

よほど「馬鹿」だの「ゴミ」だの悪口まがいの暴言を吐いたなら炎上しても仕方ない。

 

…が別にそんな事は無い。

確かに厳しい言い方ではあったが、キチンとそのシェフ目線で問題点を上げ、更にそれに対する改善案もキチンと出していた。

寧ろとても丁寧で真摯な姿勢だったと少なくとも私は思う。

 

では何故炎上したのか。

 

ネットの書き込み見るとその真相が見えてきた。

「俺はあのパンケーキが好きなんだ!それに悪い評価をするなんて許せない!」

「私はあのパンケーキが好きだったのに、この番組のせいで味が変わったらどうしてくれるんだ!」

「一流シェフだかなんだか知らんが勝手な評価をするな!」

 

……はい???

 

何度も言うがこの番組は

「良い評価を貰えればその商品の宣伝に、悪い評価を受ければそれを元に料理を改善できる」

 

と思いチェーン店側から評価をお願いして成り立っており、最初から悪い評価も覚悟の上で出しているはず。

そして一流シェフも

「それなら正直に意見を言いましょう」

と快く受けてくれてそれで成り立っているはずだ。

 

いくらそのパンケーキが好きだからって、

作る側が納得した上で評価をしてもらって、評価する側も真摯に向き合って評価をして、

双方が納得しているものに対し、

 

全く関係ない第三者が暴言を吐いたりシェフの店の評価を荒らしたりする権利は無いはずだ。

もし味を変えて欲しくないなら、

「私は今の味も好きなので残して欲しいです!」

とコメント送ったり

「実際にパンケーキを沢山注文したり」

そういう形で応援していくべきなはず。

 

気に入らないからと好き勝手に文句を言うのはお門違いだ。

 

チェーン店が評価をお願いしたのは

決して「お前ら」ではなく「一流シェフ」なのだから。

 

 

以上の2つの炎上を見て私はひとつ思ったことがある。

それは

「世の中にはコンテンツが必ず自分向けに作られていると勘違いしているヤツが多過ぎる」

という事である。

 

まず最初の朝ドラの炎上。

多数の朝ドラファンから観て面白くない作品だったのは確かに、紛れもない、否定しようのない事実だったのかもしれない。

ただ感想を漁れば、

「自分は面白いと思った」という人も極少数ながら確かに居たのも事実だ。

SNSで「『その番組のタイトル名』_好き」と検索すれば非情に愛の溢れたラブコールを見ることができる。

 

しかし、「#〇〇〇反省会」と称して好き勝手言っている人達の多くは

「その作品がダメな作品であった」

という事をさも前提として、視聴者全員の共通認識であるかのように述べ、

挙げ句には「面白いと思っている人は見る目がない」と言っているようにも取れる発言まで確認された。

 

どうしてそういう事ができるのかと真剣に考えて、私は1つの答えに辿り着いた。

それは

「作品が楽しめなかったのは作品を作ったやつの責任」

だと思っているからだ。

確かに作品の制作陣もインタビューなどで、

「これが受けなかったら私の力量不足だ」

等と答える事は良くある。

が、それはあくまで製作する側の向き合い方の話であり、自戒の為の言葉なはず。

それでこちらが責任を追求するのはおかしな話だ。

 

そもそも同じシリーズだからと言って必ずしも全ての作品が自分に合うとは限らない。というか合うほうが珍しい。なぜなら毎回ターゲットが違うからだ。

とてもシリアスで鬱展開が印象的な「純と愛」もあれば明るい雰囲気の「あまちゃん」のような作品もあるし、史実や実話ベースのお話があれば、完全オリジナルストーリーの作品もある。

それは毎回違ったことをやって新規の視聴者を取り込もうという努力に他ならないはずだ。

 

実際、私は放送当時「あまちゃん」の世界観に惹かれ毎話毎話とても楽しみに観ていたが、それ以外の作品はあまり肌に合わず見るのを辞めてしまった。

だが、だからといってあまちゃん以外の作品を作ったやつらが悪いとは到底思わない。

なぜなら、「ただ単にターゲットが自分じゃなくなった」だけだからだ。

 

長いシリーズを追っていると

「私はこんなにこのシリーズのファンなんだから、制作陣も往年のファンを楽しませることを第一に考えるに違いない!そうでなきゃおかしい!」と考える奴はどこの界隈にもいる。

 

私の好きなニチアサ界隈にも居る。

というか最近それでプリキュア界隈は少しざわついた。

 

でも本当にそうしたいならずっと同じことをやって、同じテーマで、同じ題材で作っていれば良いはず。なんなら新作なんて作らず、ずっと昔の作品を再放送しても良いはずだ。

 

だがそうしないのは、もっと他の人にも知ってほしい。楽しんで欲しいという思いがあればこそ。

シリーズに置いてターゲットを変えるのは、おかしな事ではないし、

作品とは

「この作品を面白いと思う人に刺され!」

と思って作るもののはずだ。

人の好みは千差万別なのだから最初から全ての人間を楽しませるのは不可能だし、制作陣もそれで作っているはず。

 

自分好みじゃないから、自分向けじゃないから燃やすというのはそもそもその時点で大きな間違いなのだ。

自分向きじゃないなら悪態垂れず見るのを辞めれば良い。私の好きな言葉でこんな言葉がある。

 

「読者にあるのは作品を変える権利じゃない。その作品を読むか読まないかを選択する権利だ。気に食わなければ読むのをやめればいい」

 

これはとある有名な漫画家が過去に言った言葉だが本当にその通りだと私は思う。

 

そして後者、パンケーキの炎上。

こちらは逆で評価が気に入らなかった人がそのシェフの店を荒らし炎上させている。

最初からこの番組を見ていたのなら、番組コンセプトは理解していたはずだ。

チェーン店の側が正直な評価を自らお願いしているという事も。

それなのにいい評価を貰えなかったから荒らすというのははっきり言って子供の駄々より酷い。

 

そもそもお店で出す商品の味を決める権利はお店側にあるはずだ。

お店側が評価をお願いしたというのは何かしら改善したいと思っていたのだろうとも思う。

なのに、第三者である私達がどうこう言うのはお門違いではないだろうか?

 

私も過去に自分の好きな商品の味が突然変わってショックを受けた経験はあるのでよくわかる。

子供の頃から好きだったある野菜ジュースの味が変わってから一切飲まなくなってしまった。

それまでは大好きで毎日飲んでいたのに。急に甘さが控えめになり口に合わなくなったのだ。

 

だが、だからといってその会社を恨んだりはしない。

味を変えたのはきっと売れなくなってきていたり、何か事情があったのだろう。

先程の朝ドラの件と同じように

 

「ただターゲットが自分から外れたたまけ」

なのだ。

 

しかしに世の人間は、特に最近のネット民は商品や作品が自分向けでないと途端に怒りだす。

これは「今まで私はこんなにも〇〇〇を応援してきたのだから、これからも自分向けに作ってくれるはず」という驕りに他ならない。

 

例えるなら

「今までこんなにお金を落としてイベントにも参加したんだからあの娘はきっと僕の事を好きになってくれたはずと思い込むアイドルヲタク」

に近い。

 

勝手に商品やサービス以上の見返りがあると思い込んでしまう。

 

しかし、作品も、商品も、時代によって、テーマによって、その時の制作陣の思惑によって、多様に変化する。

だから我々は刺さらなかったとしても、「それはただ自分向けじゃなかった」と思う心が必要なのだと思う。

そうすればいつか自分に刺さる作品に巡り合えた時、より一層、とてつもない幸福を感じられるはずだ。

コンテンツが自分にとっていつも楽しいものとは限らない。面白い事は決して当たり前じゃない。当たり前のように求める物でもない。

コンテンツを楽しむとはそういう事だと思う。

 

我々はいま一度、コンテンツの向き合い方を見直さなければならないのだ。