➀プロローグ(本題は②からなので飛ばしてもええよ)

どうも、しがないニチアサヲタクのろくもんというものです。
今のプリキュア・ライダー・戦隊観ていますでしょうか?個人的にどれも例年より更に私の癖にぶっ刺さっててとても幸せでございます。

デパプリはシリアスと日常のバランスの良さや、キメ技だけでなく小技もしっかりあって敵に対しての戦闘シーンも含めて楽しいし、
まだ始まったばかりのギーツも毎回違ったルールの中で生き残る今までとはまた違ったライダーバトロワがとても面白いですよね。

中でも特に暴太郎戦隊ドンブラザーズは普段特撮を見ない方にも楽しんで頂けているようで。

ロボット玩具は発売日にトレンド入りし前年比300%超えと云われる程の大ヒット。SNSでも普段特撮は見ないけどドンブラザーズは見ているという方の声も多く聞き、子供が夢中で見ているという声も多く聞きまさに老若男女問わず楽しまれているのを嬉しく思うばかりです。
さて、ドンブラザーズがヒットしたのは玩具のクオリティの高さもあれど、やはりその内容でしょう。
スーパー戦隊の常識を壊す様々な設定やドラマ作りがヒットしたのは間違いありません。
まずチームなのに同じチームのメンバーを把握していない。
「戦隊モノといえばやはり仲間との絆で戦う!」というのがイメージ。
しかしドンブラザーズはそもそも全メンバーを把握していません。怪人が現れたら強制的に変身させられ招集。話が進む中で少しずつ面識を持っていきますが未だに誰も正体を知らないメンバーすら居ます。
さらにキャラも個性的、ウソをつけない奴や、俳句を詠む無職、盗作漫画家に、普通?のサラリーマン、冤罪事件の指名手配犯とヒーローモノとは?と思われるようなキャラ設定。
まさにそれまでシリーズの常識を破壊する作品、それどころか子供向けヒーロー物の常識すら破壊した、ルール無視、掟破りの作品と言えます。

②ルール破り

さて➀で私は、今の戦隊のヒットは今まで守ってきたルールを破ったからだと言いました。
でも、中にはこんな人も居ます。

「今までの戦隊のイメージを壊すなんて」
「戦隊モノをなんだと思ってるんだ」
「子供向けのヒーロー物としてどうなんだ」

確かに気持ちは分かります。
今まで積み上げてきたイメージを壊して、無駄にしていいのか?子供向けのヒーローとはこうあるべきなのでは?それを守らないのは駄目なのでは?先人達の創り上げた作品群に対してのリスペクトが足りないのでは?

分かる、分かるけど、私は
「それは違うんじゃないかな〜」
って思っちゃう。

寧ろ私は「シリーズ物に対するリスペクトこそシリーズの破壊にある」と思うのです。

③掟破りから生まれ、掟破りから進化した歴史

そもそもプリキュアも、ライダーも、戦隊もみんな掟破りから始まったと私は思っています。

初代プリキュアが産まれたのは「女の子だって男の子みたいに暴れたい」という想いから。
女の子は魔法少女、男の子はヒーローというイメージがあった中で、「私だってパンチやキックで相手をぶっ飛ばして痛快にやっつけるカッコいいヒーローになりたい」という女の子を夢中にしました。

スーパー戦隊も、一人で戦うのではなくチームで戦うヒーローが見たいという子供たちの心に刺さったから。
当時から複数人で戦うヒーローは既に存在していたとはいえやはり一人で戦うイメージがあったり、共闘といってもヒーローの人数は2、3人。メンバーも男だけ。という物が多かった中で現れた5色の5人の戦士。女の子も男の子も一緒になってヒーローになれる夢のような存在。

仮面ライダーだって、ヒーローは正義の象徴!というイメージがあった中で、悪から産まれたダークなヒーロー。悪の組織に改造され悪のために産み出された改造人間が戦う理由は「正義」ではありません。人間の「自由と平和」の為にショッカーに立ち向かう。モチーフもあまり良いイメージの無いバッタ、乗る乗り物もタケノコ族などで不良のイメージもあったバイク。
影と悲しみを背負ったダークなヒーローとして多くの子供たちを虜にしました。

みんなヒーローの常識や掟を破って産まれてきたのです。そして更にシリーズが進化していく中でどんどんルールを壊して行きました。

元々「女の子だって暴れたい」というコンセプトのプリキュアで男の子のプリキュアを出したり、(キュアアンフィニは推しキュアです。1、2時間は余裕で語れる自信があるよ。)

仲間との絆をテーマにした戦隊モノでなんか戦隊内にドロッドロの三角関係を作って愛憎劇始めたり、
(いうて今のもドry)

仮面ライダーに至ってはもはや改造人間でもないし、バイクに乗らないやつまで居ます。しかもなんか定期的にライダー同士で殺し合ってます。悪役のライダー登場が当たり前になりました。

それらはみんな過去へのリスペクトが足りない事なのでしょうか?子供向け番組として間違っているのでしょうか?

④寧ろそれこそがリスペクト

寧ろ私はそれこそが、シリーズの積み上げた常識を破壊する事こそが、シリーズに対してのリスペクトだと思っています。
なぜなら常識の破壊は「常識や当たり前を積み上げた証だから」です。
今のドンブラザーズが面白いと受けたのは決してドンブラザーズの力だけではありません。
それまでの全ての戦隊の積み上げた歴史がドンブラザーズという今に繋がったのです。

「戦隊の魅力は仲間との絆!友情!」
「ライダーより単純明快で明るいイメージ」
「毎回のみんなで名乗るのがカッコいい」

というイメージをそれまでの作品で積み上げて居なければドンブラザーズはここまで斬新だと取り沙汰される事も無かったでしょう。
斬新、革新的、一線を画す。そう言われるのは、
ヒットできたのはそれまでゴレンジャーからゼンカイジャーまでの作品達が

「戦隊といえばこれが面白いシリーズなんだよね!」

というイメージを作り上げ、実際に面白い作品を作ってきたからこそなんじゃないかと思うのです。
前作のゼンカイジャーが底抜けに明るくて楽しくてはっちゃけていたから。
前前作のキラメイジャーがそれまでの戦隊のお約束はしっかり守りつつも価値観を令和的にアップデートし、「これが新時代のスーパー戦隊のスタンダードだ!」と魅せつけたから。

掟破りは過去がなければ出来ないのです。それをしようという心意気はまさしく、過去作への最大のリスペクトと言えるのではないでしょうか?

そういえば最近巷で流行りのガンダムもそう。といっても私はガンダム全然見てないので憶測ですが今の水星の魔女が話題になっているのもなんかその、女性主人公や百合要素といった革新的な要素が受けたからなんじゃないですか?(知らんけど)

④何があっても

この先、もしかしたらプリキュア制作陣が、
「子供はちょっと背伸びしたい気持ちがあるし、もう少し対象年齢を上げてみても良いのかも」
と考えて仮面ライダーのように陰を背負ってプリキュア同士で血だらけで戦いあうような作品や、どこぞのトレンディ戦隊のように昼ドラもビックリのドロドロ愛憎劇をお出ししてくるかもしれない。

逆に仮面ライダー制作陣が
プリキュアのように、明るく仲良く敵を浄化して倒すような作品や、
戦隊のように毎回巨大ロボットに乗り込んで戦う作品をお出ししてくるかもしれない。

あるいは戦隊モノが
プリキュアのように敵を浄k…は今のドンブラザーズがやっているので(え?)一番前の、センターが女の子の作品や
昭和の一部の仮面ライダー作品のように、孤独の悲しみを背負って戦う、メンバー一人だけの作品をお出ししてくるかもしれない。

でも私はきっとそれも受け入れると、受け入れられると思う。

とある記事内でプリキュアの産みの親の鷲尾プロデューサーはインタビューにプリキュアについてこう答えていた。
「毎年が勝負で、変化を怖がらない。“らしく”なければいけないと考えるかもしれないけど、思ったことをやった方がいい。私自身もむちゃをしてきました。長期計画を立てると、理想を追ってしまって、あまりいいことにならない。『ふたりはプリキュア』の美墨なぎさのせりふで『なるべく頑張るぞ』とありますが、『なるべく』でいいんです」
引用元: https://news.yahoo.co.jp/articles/88c484e0062ae901eaf2e3060ded3a133ca6e853

きっとこれからも進化して変わっていく、数十年後にはきっとまたプリキュアも戦隊もライダーも、今とは全然違うイメージ付いていて、それをまた壊そうとすると思う。
でも私は寧ろそれを見てみたい。
どんな壊すのか。そしてどんな面白い物を見せてくれるのか?
それをファンとして見届けたいと思うのです。