続・極私的市民運動の記録
<その3>市民運動とパソコンたち
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一九九五年の阪神淡路大震災のとき、パソコンは、始まってまだ一〇年ほど。インターネットはぜんぜんで、ニフティのパソコン通信が始まって二、三年というときだった。
携帯電話もほとんどなく、東京からボランティアで来た当時NCC幹事の八幡明彦さんが持ってきたのを珍しがってた。それ以前は弁当箱のように?大きいもので、「自動車電話」を持ち出して使っているという時期だ。
私は、地震の三、四年前、盲腸で入院した。そのとき、学生センター御用達のガソリンスタンドから、携帯電話を借りて使っていた。初めての入院生活を楽しんでいた。
入院での唯一のトラブルは、私は麻酔アレルギーであることだった。高校の器械体操時代、平行棒から落ちて五針ほどぬった。それはたいしたことなかったが、その後、全身蕁麻疹、そしてぜんそくがでた。キシロカインという部分麻酔薬アレルギーなのだった。
盲腸のときそのことを医者に話した。「全身麻酔にしましょう」となった。医者も怖かったようだ。手術はすぐ(知らんけど)終わった。目が覚めたら、部屋まで歩いて帰りなさいとのこと。それが最初のリハビリとのことだった。病室に無事帰ることができた。
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ちょっと脱線した。パソコンにもどる。
学生センターには一九九二、三年ごろパソコンが入った。NEC9801。本体が一二〇万円、その他ソフトが五〇万円という値段だった。ひらがなが漢字に変わるのにびっくりした。いまから考えると遅いが。
ワープロソフトは、管理工学の「松」だった。もう、分かる人がいないかもしれない。ワープロソフトは、一太郎と松の一騎打ちだったのだ。マイクロソフトは、まだメインではなかった。
名簿整理のソフトを業者に頼んで五〇万円支払った。学生センターの各種セミナーの名簿管理ソフトを依頼した。何回か打ち合わせをしたが、思うようなものができない。全名簿のなかから食品公害セミナーの参加者だけを選んでリストをつくり宛名をラベル印刷する。こういうことができないのだ。できないというより、それをソフト会社にいちいち指示しなければならなかった。
あきらめた。そして、同じく管理工学のデータベースソフト「桐」を買った。業者との打ち合わせでしたかったことを自分でやってみた。できた。うれしかった。その後、五〇年間、いまだに学生センターの名簿管理ソフトは「桐」だ。セミナーの数がいくら途中から増えても大丈夫。講師か受講生かのチェックもOK。新しい市民グループができても、その名簿を共有することもOK。条件をつけて選んだ人の宛名ラベルを印刷することも可能だ。むくげ通信などは、「あなたの購読料は今号で切れます」とラベルに印刷することもOK。
いちばんの省エネは、宛名ラベルに工夫をして、宛名といっしょに発信者の連絡先をいれることもOK。これがけっこう便利だ。むかしのように「ハンコ」をつくる必要もない。
賛助会費を誰が何時なんぼくださったかも記録がある(ごめんなさいね)。数年に一度、そのデータをもとに?名簿整理もできる。五〇万円は高い授業料だったが、もとはとらせてもらった。
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ちょうどそのころ、ハングルソフトがでてきた。大阪の僑文社?高電社?が開発した(未確認です)。それ以前のハングルは、パッチムの扱いが超難題だった。説明がむつかしい。以前のハングルタイプライターでは、パッチムをうつときは少しもどしてその文字の下に打つのだ。二重パッチムのときなどたいへんだ。
しかし、ハングルワープロはその問題を解決した。ただただハングルを順番に打ち込めばいいのだ。あとは、パソコンがそれがパッチムであるかどうかを判断してくれるのだ。分ってほしいが、ほんとうにすごい発明なのだ。
高かった。でも、学生センターで使ってくださいとデモ機がきた。使った。
ちょうど、むくげの会で『むくげ愛唱歌集』(一九八五年)を作っているときだった。南北朝鮮の歌謡曲から民謡、歌曲まで一〇六曲を収録したものだ。目次担当は私だった。で、そのデモ機をフル活用して作った。当時は、二四ドットのプリンター。目は粗いが上々の出来だ。むくげの会の本としては、よくうれた。増刷もした。出版記念会では、二次会もあわせて収録の一〇六曲を全部歌った。すごい! いま在庫はない。ご希望の方には複写版を販売している。
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NEC九八〇一には、五インチのフロッピーディスクがついていた。その後、3.3インチになった。当時、7インチのものもあったのだ。ほぼCDの大きさだ。
それで、前述の「松」「桐」を使っていた。スピードは、遅い。まさに、ガタンガタンと音を出すのだ。内臓メモーリが少ないので、データは、5インチのディスクへ。友人の近藤富男さんは、名簿のデータ整理をするのに、パソコンが一晩、寝ずに、朝までガチャガチャと動いていた、と。
そのうち、ハングルソフトも買ったが、それも5インチディスクでの提供。立ち上がるのに、七、八分かかった。もうやってられない、と思った。そのころ?、外付けハードディスクが出た。今では考えられないが、価格は一MB、一万円。一〇メガ一〇万円だ。買った。それにハングルソフトなどを入れて、使った。そのハードディスクのおかげで、なんとか使えたのだ。
基本ソフトは、MSDOS。むつかしい。当時、学生センター内「食品公害を追放し安全な食べものを求める会」専従の稲田登さんがけっこう詳しかった。ずいぶん助けてもらった。私は、MSDOSは無理だ。そのうちソフトが一般人に近づいてくる。すなわち、基本ソフトを操らなくても、できるようになるという説だった。そのとおりになった。MSDOSを勉強しなくてよかった。ほかにも、プロトコルとかいろいろあったが、プログラムには手をださなかった(手も足もでなかった)。
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その「九八〇一」も終了し、新しいパソコンがきた。学生センターのパソコンも個人のパソコンも定期的に更新することになる。腹がたつが、仕方がないのだ。
阪神淡路大震災(一九九五年)のときには、インターネットはほとんどなかった。ニフティサーブのグループが始まっていたぐらいだ。私も少しはそれをしていた。在日コリアン関係のグループもあって堀内稔さんは投稿などもしていた。震災時のボランティア、寄付金募集などに利用した。
でもまだFAXの時代、ボランティアは、朝から晩までFAXを送っていた。すでに、「市民運動と印刷機たち」で書いたとおりである。
学生センターのホームページも早いほうだった。これは、だいぶ研究した。『ワードでつくる、いとうまいこのホームページ』なんて本を買って読んだ。「ホームページビルダー」もつかっていた。
その後、プロにホームページを依頼することになった。
現在は、独自ドメイン「https://ksyc.jp」をとって、きれいなホームページができあがっている。が、実はそのドメインの下にけっこうな数のホームページがある。こんな感じだ。
・むくげの会
・アジア労働者交流集会
・外国人の生存権を実現する会(ゴドウィン裁判)
・新ガイドラインと有事立法に反対する兵庫共同アピールの会
・神戸電鉄敷設工事朝鮮人犠牲者を調査し追悼する会
・神戸港における戦時下朝鮮人・中国人強制連行を調査する会
・神戸日本語教育協議会 KECJL
・神戸 平和マップをつくる会
・神戸大学YMCA
・市民がつくる神戸市白書委員会
・朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える全国交流集会世話人会
・強制動員真相究明ネットワーク
・松田妙子『日本人的一少女』
・神戸・南京をむすぶ会
・日本キリスト教協議会・都市農村宣教委員会(NCC-URM委員会)
・六甲アーカイブ
・青丘文庫研究会
・SCM協力委員会
・多民族共生教育フォーラム・2005
・神戸空襲を記録する会
これらは、私が作っている。デザインは悪いが内容は充実している?
開店休業中のホームページもある。とりえず新しい活動が始まるとそのホームページをつくってチラシなどを貼り付けるという方式だ。学生センター本体のホームページと別に、飛田が管理して貼り付けられるようにしている。ホームページ作成を人に依頼すると、更新がけっこうむつかしいという面もある。
ホームページの失敗も多い。新しいものと古いものがごちゃごちゃになってこまったこともある。むくげの会「略史」の基本データを消してしまい、山根俊郎さんに助けてもらったこともある。ちなみにむくげ略史の時代区分は、以下のとおりである。なにしも五〇年以上続いている会なのでいろいろある。時代区分は夫婦関係のようであるが、深い意味はない。
草創期、一九七一年~
大躍進期、九七五年~
円熟期、一九八二年~
倦怠期ないし第二次躍進期、一九八七年~
震災ショック+第2期黄金期?、一九九五年~
海外飛躍期+むくげ旅行グループ化期、二〇〇六年~現在
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コロナはあらゆる市民運動に影響をあたえた。甚大だった。
しかたなく、ZOOMを始めた。無料のZOOMは四〇分できれる。これは具合が悪い。しかたなくライセンスをとった。月二二〇〇円。
強制動員真相究明ネットワークもZOOM会議が多くなった。むくげの会もけっこう使った。ZOOMは、たとえばゲストディに海外のゲストを招くときには便利だ。
最初ZOOMに慣れなかった。自分が主催するZOOM会議のときは、緊張した。失敗すると会議が流れてしまう。慣れると楽になった。楽になってZOOM会議を忘れ、真相究明ネットの事務局長・中田光信さんから電話がかかってきたこともある。家にいてて、よかった。
コロナ後もZOOM会議が多くなった。でも味気ない。当初、ZOOMで「かんぱーい!」などとやっていたが、あほらしくてやめた。対面の、会議・はなしあい・宴会がいい。
NGO神戸外国人救援ネットが「北野町のユダヤ人」をテーマに、講演会(金子マーティンさん)とフィールドワークをしたことがある。そのとき、FMわぃわぃの若者がフィールドワークも生中継してくれた。いや、すごい。真相究明ネットも対面+ZOOMの講演会、大会を開くが若い事務局員・有田光希さんがばっちりとしてくれる。うれしい。
さいきんは、私もZOOM会議の司会になれてきた。髪の毛を多く見せる角度もわかってきた? 途中でチャットが入ってもOK。犬猫のうるさいメンバーをつきとめてミュートにすることもお手のものだ。でも、対面がいい。
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二年前、パソコンがこわれた。リックから落ちたのだ。チャックを閉めずに自転車にのった。ブレーキをかけたら、落ちてしまった。目の前がまっくら。パソコンの画面もまっくらになった。
パソコンも大事だが、データも大事だ。いろいろさわっていると、キーボードと液晶との接触がほぼ断線しているようだ。五センチだけあけると液晶がみえる。それ以上あけると、画面は消える。その五センチを利用して、データを救出した。肩は凝り、目がひきつった。ノートパソコンによくある?故障のようだ。新しいパソコンをかって再スタートした。ハードディスクではなくてSSD、快適だ。この際と、SSD、一TBのものを二TBにした。けっこう容量があって安心?だ。
学生センターには大きなサーバーがあり基本的なデータはそこにある。が、二〇二二年の退職後、センターでも自宅でもノートパソコンで作業をすることにした。トラブルが起こった。データをセンターのサーバーに保存していなかったのだ。いまは、センターと自宅の外付けSSDに保存している。でも、作業中のものに限ってトラブルがおこって、一日の作業が無に帰すことになる。誰を恨むこともできない。よけい精神衛生上、わるい。パソコンは、おそろしくて、むかしのテレビのようにはたたけない。
でも、パソコンはともだち。仲良くするほかない。コロナで始めた市民運動記録エッセイ、いまも、せっせとノートパソコンで打っている。はい。以上、第三話でした。
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飛田雄一「続・極私的市民運動の記録」
<その3>市民運動とパソコンたち
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2025年9月5日発行
執筆・編集・印刷・発行 飛田雄一(ひだ ゆういち)
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