映画&通信

 

「六ヶ所ラプソディー」

 

 

私はイラクで白血病やがんになった子供たちに出会い、なぜ彼らがそのような病気で死ななければならないのかを知るために映画「ヒバクシャー世界の終わりに」を作りました。

1991年の湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾がもたらした体内被曝が子供たちを病気にしているという可能性、そして世界中で微量の放射性物質による被曝―低線量被曝が広がっている実態が浮かび上がってきました。そして私が最後にたどり着いたのは私たち自身の足下、日本の六ヶ所村でした。そこには私たち自身の生活から出てきた大量の核廃棄物が蓄積していました。

 

 10年以上も前から六ヶ所村には核廃棄物が運びこまれてきました。この核廃棄物、つまり原発の使用済燃料からプルトニウムを取り出す計画が進んでいます。プルトニウムを再び原発で燃やそうというのです。2004年、ほぼ完成した再処理工場がついに劣化ウランを使った試験運転を開始し、2006年には本格稼働する予定です。これは何を意味しているのか理解しているのはほんの一握りの人たちだけです。

 

 原燃


六ヶ所村が抱える問題は六ヶ所村だけのローカルな問題ではありません。日本の国民全体にかかわる非常に重大な問題です。しかし、六ヶ所村で起きていることはあまりにも伝わってきません。また六ヶ所村の様々な人たちの声が全くといっていいほど外には聞こえてきません。普段なにげなく使っているエネルギーが今ほど問われている時代はないというのに、果たして私たちは十分に議論を尽くしているでしょうか?情報は確かに公開されているでしょうか?私たちの選択が問われているのです。映画は原子力産業にかかわる人も反対する人も平等に取材し、その考えを聞きます。けっして何かの運動や政治活動にくみするものではありません。それらからは自由な立場で製作します。起きつつあることをそのまま描きます、矛盾があってもそのままに。映画は鏡のように偏りなく、そこに展開する人間の営みを写していきます。私たちはその映し出された姿に自分自身を見いだすかも知れません。そして、未来への選択とその先がかいま見えるかもしれないことを願っています。

                                                            鎌仲ひとみ