こんにちは、六花です。






お察しいただいている方々もいらっしゃるかもしれないが、

ワタクシ六花はなかなかのネクラである。



先日青山媛香先生とお話している際に


「え!?六花先生ってネクラなの?

明るいと思ってたし全然そう見えない」


という女神のような思い遣りコメントを頂いたのですが、

8ハウスに山羊座の集合体を待つ出生図のワタシが明るいタイプではないのは明確だ。



友人にはお酒を飲んだテンションについて


『ネクラが無理してネアカになってるテンション』


と罵られ(辛辣すぎる)



今は緩和したが、学生時代の頃は


『思慮深過ぎるから、もっと気楽になった方が良い』


と同じ山羊座から慰められたこともあるくらいだ。



しかし、このネクラ感。

私は案外嫌いではない。




私は『ポジティブの押し付け』

という暴力を知っている。



それは一社目の新入社員時代の頃。

当初まだ実家暮らしだった私は

母親との絶え間ない激しい喧嘩と不仲に心底疲弊していた。



仕事の時に何とか切り替えようと過ごしていたが、

顔の表情が少しでも疲れていたり、

上司の『ほら笑え』という話のフリに対しての反応が悪いと


「何?今日暗くない?」


と必ず突っ込まれる。




当時関西に住んでいたのだが

勤務地の地域柄もあり、

プライベートにグイグイ入ってくる文化だった為

仕方なく家庭内での状況を当時の上司に話した。



その際その上司から言われた言葉は


「でも家族なんだから」

「うちんちは家族仲良しだから気持ちが分からない」


と、なかなか当初の私としては心に棘がグサリとくる言葉だった。




そして極めつけに


「どんな時でも明るくしないと」


と言われた。



確かに当初接客業をしていたので

ごもっともな意見の上、

実際この時の私はまだまだ子供で幼かった。



しかしどんな時でも


「暗いわ〜」

「明るくしないとあかんで」


と言われ続けることが

当時の私にはとてつもなく辛かった。


そして幸せな家庭環境の元で生まれ育った人から言われる事の複雑さに

真っ黒でドロドロした感情が芽生えていた。




しかも、上司の性格がとんでもなくネアカ

(パーリーピーポー)だった為、

この「明るく」の基準が私の通常テンションの2オクターブ上の領域だったのだ。



これを通常時も演じていることがキツかったのに

ただでさえ死にそうな精神状況でこれを演じることがこの時とてつもなくしんどかった。



この経験から


「ポジティブの押し付けは暴力になり得る。

私は絶対にポジティブを押し付けない」


と心に誓った。




私の人生今まで生きてきて失敗まみれだった。



会社員時代はストレスで突如入院し

仕事を辞めたこともあるし、

学生時代は親を泣かせたこともある。


恋愛でも自分を上手く出すことが出来ずに振られたことや、

相手が突如音信不通になってしまい

毎日胃が痛む思いをしたり、

人との関わりが嫌になったことだってある。


同棲するまで焦り、

結婚するまでにも焦り、

不安に駆られて毎日生きていた時もある。


価値観の相違から毎日喧嘩まみれで

疲弊して前が見えないと思ったこともある。



しかし、失敗をするたび、

傷つくたび、道から外れてしまったと思うたびに

私は「良かった」と思うことがあった。




「これで同じ経験をした人の気持ちに心から寄り添える」 と。




この感情は実はかなり前からあった。

(記憶でハッキリあるのは中学生くらいの頃から。)



この頃から

「誰か傷付いた人を癒せる人になりたい」

と思っていたんだと思う。



だからこそ、

失敗する度に私は「逆に皆が経験しないようなことを経験することが出来た」、と思った。



失敗して、苦しい思いをしていても

心の底でいつか幸せになりたいと思って生きている人は

とても魅力的なのではないか、と思う。




私は失敗した人をけして偏見の目で見ない。




誰でも失敗はする。


しかし、そこからどう生きて行くかを考えていくことに意味があるのだと思う。




これは私が本当にネアカで

悩みにくい性格だったら気付かなかった部分なのかもしれないと思うと

案外ネクラで良かった、と思うのだ。