日大アメフト部の辛いニュースを見て思うことがあまりにも多くて、なかなか書ききれなかった@かおりんです。
私も大学時代打ち込んでいた競技がありました。
部内で起こったある事件から、大学体育会競技の指導者は、選手(学生)を育てる立場ではなく、勝つために良い選手を揃える存在でしかないことを感じました。
当たり前ですが指導者の資質は様々です。スポーツを通じて人間成長を目指している指導者も多いのです。
たまたま私が見た景色は違っていました。部内トラブルは、厄介ごととして処理され、組織を守るためには個々の選手は切り捨てられる、
初めて出会う大人社会のそんな構図を垣間見て、当時はまだ若かった私は、人からも競技そのものからも裏切られたような気持ちになり、心折れ、しばらくは道具を見るのも嫌なほど落ち込んだことを思い出しました。
その場で自分の意見を言えなかったことを、感情に任せて誰かのせいにする部員がつけた、今思えばしょうもない火種でした。
そのときに見た大人たちの不甲斐ない態度は、私の反面教師になりました。
また、その時の登場人物たちが見せてくれた4つの影(犠牲者、売春婦、潰し屋、子ども)が織りなした人間模様が私の原体験として、30年以上経た今ようやく役に立っています。
あの経験があったからこそ、成長させてもらえたと今になってやっと思えます。
一番辛かったのは、リーダーとしての立場でものを言うことがまだ理解できない仲間が、
最上級生の立場を忘れ、右へならえで口々にわたくしごとを並べたことでした。
当時、悩んでいた私に、母からのアドバイスが印象的でした。
「その人たちも、いつか人生であなたと同じ景色を見る日が来る。その時に気がつく日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。
けれど、今考え方がそれだけ違う人と歩み寄るにはまだ若すぎる。
そのお仲間とは、この先は多分違う道を歩くことになる人たちになるはず。これまで仲良くできたことは感謝して。
この先、無理に仲良しにグループのように戻る必要はない。
そんな努力はお互いの時間の無駄。自分が正しいと思うことを曲げてまで友人を作ることはない。自分に合った人と出会うように決められているから。
こんな若い時期に良い勉強をさせてもらえてよかったじゃないか。」
その時は、変わった親だと思いました。普通の母親なら自分を偽ってでも、仲間に入っていくことを教えるかもしれません。
「たまたま」同じ環境にいた仲間は、愛すべき存在でこそあれ、無理に一緒にいたとしても必ずしも自分を成長させてくれるとは限らないと、後になってから理解できました。
謝罪会見に送り出した親御さんの気持ちや、テレビ📺を見ていただろう相手選手とご両親の気持ちの思いにも心めぐらせる私です。
自分自身の成長のためには、環境や友人との別れは必要、必然のタイミングでやってくる。
たったひとりにならなければ、成長の扉の鍵は渡されないのですね。
今は二度とフットボールをすることはないと語る選手へ
成長する場、活躍する場は、必ずほかにもあるし、またこれまでの仲間も待っている。
けれど、辛いなら、嫌なら、やめていいと思います。
でも、それは敗者ではなく、準備された新しい成長へのステップなのでしょうから。禍福は糾える縄の如し。
出来事全て、無駄なことは何ひとつない。受け入れ、腐らず、凹まず、明日を信じて、頑張りましょう。明るく楽しく元気よく。
