この暑い夏 無理を言って
主人の三年目のミサをお願いしました

長女と3男とわたしと
盆明けから来ている母と4人

平日の9月1日
(命日は翌日の2日)

子供らの仕事が休みに合わせ
教会で主人の追悼ができた

教会に足を運ぶのも
亡き父を思えばこそだろう

普段はまず来ない所だか
少しでも足を運んで馴染んでほしい
けっして 敷居の高い所でなく
だれでも神様に会いに来れるのだ


必要があれば
招かれるかもしれない

わたしもきっと そうだったんだろうと思う
キリスト教との出逢いは
オーストラリアに住む次男が
台湾人の彼女と
ザビエル教会で結婚式を挙げたこと

それから 3か月後 
主人が
まさかの心不全で突然亡くなって

葬式をどうするか
お寺さんはどこに・・と言われて
見当がつかず
迷いに迷い
問い合わせたのが教会だった

次男夫婦の結婚式の時の
k神父さんだった

本来なら
信者でもないのに・・・
断られても当然なのに

よくぞ 受けてくださったと
今更ながら劇的に思える

あわれな子羊・・・と
神様は助けてくださった




身内に縁が薄い主人の家系
墓参りは毎年参るものの
何宗かもはっきり知らず
知っていたつもりで知らずに
今までやって来ていたことに
唖然とした

葬式の中で
神父さんの聖書のことばに
わたしの心は深く癒されていた
不思議なくらい
呼吸するようにしみこんだ

そして
主人は自分が死ぬなんて
思いもよらなかったろう
一番驚いて困惑しているのではなかろうか・・・

だから わたしは
主人の魂が迷わないように
天国の明るい光の中で安らいでください
神さま どうぞ 導いてください
と 必死で 祈っていた

キリスト教の葬式
無事に終えることができた

なぜそうなったのか?
不思議でならないが
老齢なk神父さんの
類い希なる優しさゆえだろう

今も
幸いなことに全く悔いはない

子孫にも繋がるほど重大なことである


あの後 どうにか葬儀を終えたものの
現実
身も心もうちひしがれた
ここで倒れたら立ち上がれないだろう

朝は変わらずにやって来る
今までどうりに暮らせばいいのだ

焦らないで
先を思うまい・・
一つ一つ踏み外さないようにと思いながらも

なんでこんなことに・・・と
重くのしかかる不安に
逃げたい気持ちになった
信じられない・・・

ところが
身体は不思議と疲れなかった
ある意味興奮状態から
抜けてなかったのだろう

毎朝 気づかされるものがあった
それをすることで一日が
好日だった
あたたかいいぶきにつつまれていた

いつも 近くに神様(主人)がいて
助けてもらっていたのだろう

今は あの感覚は少ないが
わからぬままに尋ねている
そして 不思議なくらい
うまく繋がる
とても 心安らぐ

信仰とはそんなものだろう
素晴らしいと思う

もちろん 
家族や回りの人に支えられていた
神父さんを始め 代母さん
カルメル会の皆さんの祈りにも
きっと 助けられていたと思う





今年も 主人のことを思い出して
子供たちや親族と心を馳せることができた

親しかった友人たちもわざわざ来てくれた

 ほんとうにみんなに好かれて幸せな人
あなたに出会えて幸せでした

また来世であえたなら
きっと
もっと幸せになれると思いますよ