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 子どものころは,21世紀などというとはるか未来のような気がしたしどんな世界になっているんだろうと思ったりしていたわけでありますけれども,実際に21世紀になってもそう変わりがあるようでもないんでした。
 まぁ,スマホなんかはかつて思い描いた未来の道具にかなり近い感じはしますけれども。でもこの未来の道具を持って過去へタイムスリップしたとしても,何の役にも立たないのだろうなぁ。

 という,あんまり関係ない話を前フリにしておいて最初の写真であります。

 先日,長岡市の与板地区を十数年ぶりに歩いた時(当時は与板町)に出会った「顔」であります。
 かの岡本太郎作である太陽の塔には3つの顔があってそれぞれが過去・現在・未来をあらわすと言われますけれども,その「未来」の顔が,入口のひさしの上にちょこんと乗っているんでした。

 いやまぁそれだけであって,刃物屋さんがその技術をいかして趣味でいろいろ作品を作られてるんであろうと思われますけれども,静かな住宅街で突然出会うとなんだか不思議な感じになるんでした。

 私は実際の太陽の塔というのは見たことないんでありますけれども,いずれ行ってみたいものであります。

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 こちらは,たばこの自動販売機の上に掲げられたカンバンであります。
「千円札も使えます」ということがなんとなく誇らしげに書いてあるような感じがオモシロかったんでした。

 わざわざ書いてあるということはそれまでは使えないのが普通であったわけで,これはいつごろのカンバンなんだろうかと思ってしまうところであります。

 500円硬貨が出始めたころも対応販売機にはその旨が書かれていたであろうし,二千円札事件(事件ではない)のときにもあったはずでありますね。二千円札が使える販売機,現在どのくらいあるのかわかりませんけれども。

 このカンバンの千円札というのも,伊藤博文のころの千円札なのか,現在のいわゆる「新」千円札なのか,夏目漱石でも野口英世でも大丈夫なのか,というあたりも気になるところであります。五百円札は大丈夫なんだろうか,とか。

 実際には,このカンバンの下にはすでに自販機は存在せず,自販機そのものは引退していたようでありますけれども。
 このころ,タバコを買うのに特殊なカードが必要になる未来なんて考えなかっただろうなぁ。

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 ハンコ屋さんへ行くと,有名人の名前をサンプルとして使っているものが多いんでした。特にこの徳川家康なんかは鉄板でありますね。やはり安定感があるということなのか。

 こちらのお店ではカンバンとしてそれをそのまま使っているようであります。
 そして「今年こそ作ろう住所印」ということで,住所印を作ることこそが出来る大人のステータスであると,言っているような気がするんでした。

「今年こそ」とがんばろうと思うほど,住所印というのは重要だったんでありましょうか。
 しかしがんばってそれを作る前に,少なくとも個人では住所印というのを必要としない世の中になってしまったようであります。
 年賀状も全部自分でプリントアウトできてしまうし,プリントアウトすらしないようになってしまっているんでした。そんな未来が来るとは。

 このカンバン自体,郵便番号が3桁であってその古さが見えてしまうところであります。
 でも,パソコンなんかは使わない!という世代ではまだ「今年こそ住所印」というのが未来の目標になっていたりするんでありましょうか。

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 こちらは,神社に掲げられていた…絵馬ではないですけれども,お願い札とでもいうようなものでありましょうか。消えて見えないものがほとんどでありますけれども,お願いが書かれているようなんでした。

 かろうじて見えているのが「友達がたくさんふえますように」と「みんなが死にませんように」であります。
 たしかに,かなってほしいお願いであるようなんでした。

 しかし「友達」のほうはともかく「みんなが」の方は大きな願いであるような気がするところでありますね。
 この「みんな」は願い主の想定する狭い範囲の「みんな」なんでありましょうか。それとも「全世界の生きとし生けるものすべてが死から解放されますように」という未来へ向けての壮大な願いなんでありましょうか。

 その壮大な願いがかなえばいいんでありますけれども,かなったらかなったで人口(動植物微生物も含む)が増えるばかりになって常時おしくらまんじゅうをしている世界になってしまう懸念もあったりするんでした。

 あるいは,単に「みんな」という名前の飼い猫の病気快復を願っているだけなのかもしれませんが。

「未来の顔」は長岡市・与板町与板あたり。
「千円札も」は長岡市・与板町与板あたり。
「今年こそ」は小千谷市・平成2あたり。
「みんなが」は長岡市・与板町与板あたり。