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 今年(2009年)の夏は,いつ来たやら去ったやらまだいるやらよくわからないくらいに影が薄くて,気づいたらもう9月になっていたりしたわけでした。
 9月というのはまだ暑い日もあったりしますけれども,気象的には一応秋に分類されるようなんでした。そんなわけで,ゲージツの秋であります。いや秋ってのは芸術に限らず何でもアリのような気もしますけれども。

 ということで,上の物件。「つくし書道教室」さんなんでした。この辺は「つくし野」という地名であって,別におかしなネーミングではちっともないわけですが。

 ただ,それを知らずに「つくし書道」というカンバンを見た場合に,それがいかなる書道であるのかということを,ちょっと想像してしまったりするわけでした。

 やはり「つくし書道」であるからには,スギナの子どもであって春先にニョキニョキ出てきておひたしにすると美味しい(食べたことないですが)あのツクシを筆にして書道をするんでありましょうか。

 筆に似ているから「土筆」とも書くわけで,使えないことはないかもしれないでありますね。あのポワポワしたあたりは墨汁が染み込みやすそうな感じだし。ときおり混じる胞子のつぶつぶが,書に微妙な味を出すのかもしれないし。
 ちょっと軸が弱くて書きにくいかもしれませんけれども,それをなんとかするのが「つくし書道」の奥義なのかもしれないんでした。

 あるいは,人に尽くしながら字を書くのが「つくし書道」だったりするんでありましょうか。家族の介護をしながらとかキャバ嬢に貢ぐために一生懸命働きながらとか,奉仕しながら筆を持つ。そういった書道なんでありましょうか。
 やはりツクシにはホウシが欠かせないようであります。

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 こちらは,ちょっと前に某銀行の入口前に置かれていた大きなダンボール箱であります。数時間置かれていただけなので物件とは言えないようなものでありますけれども,場所が場所だけにちょっとブキミな感じがしたんでした。

 その辺の民家や普通の会社の脇に置いてあったら別にどうとも思わないかもしれないですけれども,そこが銀行の前というだけで,何か犯罪的なものではないかとか,そういうことを考えてしまうわけでありますね。何かキケン物なんではあるまいかとか,ルパンが中にいるんではあるまいかとか。

 そうしてみると,物の見方には「場所」というのが大きな要素になるのであるなぁと思うわけでした。
 実はこれはそういうことを考えた上の,路上梱包芸術だったのかもしれませんけれども。

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 こちらはいわゆる三角コーンでありますけれども,そのコーンをペットボトルが厳重に守っているようなんでした。このコーンは高貴なお方なんでありましょうか。守るペットボトルはSPなんでありましょうか。
 あるいは,このペットボトルたちは文字通りコーンのペットとして飼われていたりするんでありましょうか。

 風で飛ばないようにとか,そういうようなことであるような気はしますけれども,どうにも執拗であります。だいたいが,この場所にコーンが必要なのかどうかというあたりもよくわからないところなんでした。まぁ,それぞれの事情というのはあるでしょうけれども。
 よくわからないものは,「これは芸術である」ということにしておくと無難であります。

 でもひょっとすると,このコーンにネコが触れると地球が爆発してしまうとか,そういった危険物だったりするんでありましょうか。そんな危険物をあんまり路上に出しておいてほしくないような気もしますが。
 まぁ,危険物と芸術作品というのはある意味紙一重であるわけですけれども,危険物であるよりは路上を飾る芸術作品であったほうがいいでありますね。


 そんなこんなで,路上観察者というのは路上に自分なりの「ゲージツ」を見つけて喜んでいたりするわけでありますけれども,誰かが意図して作ったものを見るわけではないので,路上観察には基本的にお金はかからないんでした。
 ゲージツを見るのに美術館へ行かなくてもいいわけであります。


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 しかし,タダだと思って路上を満喫していると,突然路上にレジスターが置いてあったりするんでした。
 この路地を抜けようとすると奥からオバサンが出てきて,レジをチーンと言わせながら「路上観察代,600円」とか言い出したりするんではあるまいか。そんなキケンを感じて,もと来た道を引き返してしまったんでした。

「つくし書道」は新潟市北区・つくし野2あたり。
「梱包芸術」は新潟市中央区・上大川前通8あたり。
「高貴コーン」は新潟市中央区・田中町あたり。
「路上レジ」は新潟市中央区・沼垂東6あたり。