そんなわけで,「みつどもえ」にハマって以来小学生時分のことを考えたりすることが最近多いのだけれども,憶えていることというのもそんなに多くないのであるよな。


 何をして遊んでいたのかというのも断片的には憶えているけれども,そんなに楽しかった記憶というのもないような気がする。忘れているだけなんだろうけれども。


 勉強もしてたわけじゃないし。自分で言うのもなんだけれども,成績はよかったのであるよな。小学校までは。家で勉強なんかしたことなかったのだよなぁ。


 提出しなければならない宿題はやってたと思うけれども,提出不要で授業中にかけられる(新潟では授業で指名されることを「かけられる」と言う。これが方言であるということを知らない)ようなものはその場で考えて答えれば十分だったし。


 だから,継続的にやらなければならない,いわば納期なしである宿題の「計算ドリル」なんかはずっと提出せずに怒られていたのであるよなぁ。
 実際の計算ができていればドリルで練習なんて必要ないはずであるけれども,まぁ先生の指導上はそういうわけにはいかないのであるよな。そして,そのように勉強の習慣がついていないと進学してから苦労するのだというのはよくわかった。ごめん。当時の先生。


 ということであんまり憶えていないことが多いのだけれども,映像付きで憶えている記憶があるのであるよな。
 小学校4年生のときの,休み時間の廊下の光景。当時まだ残っていた木造校舎の廊下で,左にグラウンドが見えて陽射しが窓から入っていて,脇にはキムゴン(友達の木村くん。活発で成績優秀)がいて笑っている。


 理由は憶えていないけれども「この場面を憶えておこう」と意識的に記憶に焼き付けたのであるよな。それを今でも憶えている。


 もちろん記憶というのは曖昧なものなので,写真のように細部まで憶えているわけではないし歪曲されてるだろうし状況も忘れているのだけれども,「光景を意識的に憶えておこうとした」というのはハッキリと憶えているのであるよなぁ。


 少し前に,「黄昏」(南伸坊,糸井重里共著。というか共しゃべり。抱腹絶倒。必読。)で赤瀬川翁もそういう記憶があるというのを読んで「おおお」と思ったのであるよな。ちょっとうれしい。


 でも意外と誰にでもあることなのかもしれないけれども。誰にもそんなこと打ち明けないというだけで。
 まぁ,記憶領域のムダづかいなのだろうけれども,これは死ぬまで憶えているのだろうなぁ。


 ということとはやはり関係なく,6月11日更新は「職人物件」。
 目に見える形で手に職を持っている人というのはカッコいいのであるよなぁ。

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