ROJINの奔放ブログ

ROJINの奔放ブログ

私ROJINが、気の向くままに思いついた事を綴る、「何の意味も無い」ブログです!

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目を覆いたくなるような自責の念。



後悔。




ふっとした瞬間の、ふっとした行動で、

すべてが変わっちまう。




悔いが残ったり、反省する事はあっても、

後悔するなんて何年振りだろうか。






後悔なんて、何にも生み出さない。

ただただ「気分が悪ぃ」。





後悔したら、後悔するような事をした

自分のヌルさを自覚して、

直していくしかない。











やり切れずに車を走らせていたら、

目の前を走っていた車のナンバーが目に飛び込んできた。















「1313」















「いいさ、いいさ」(笑)。





いいさ、いいさ…か。



思わず笑っちまった。








いいさ、いいさ。



それも、いいさ。



笑えば明日は福が来る、ってね。




そんな言葉ねーか(笑)。







いいさ、いいさ。



悔いを後ろに置いたら「後悔」。




後ろに置けば何にも生まないけど、悔いを前に置いたら、

自分を戒め、またひとつ、前に進んでいける。






いいさ、いいさ。







何が起きても人生だとよ。









いいさ、いいさ。















それも、


いいさ。


















書 ROJIN

流行りもん。

流行、ブームってやつね。



一概に流行りもんと言っても、

その内容も様々で、

光る努力を積み重ねて、光る時が訪れたやつ、

何の気無しに、ポッと出で当たっちゃったやつ、

まぁ、結果よりも過程が大事ってか。





「流れ行く」と書いて流行。

流行れば廃れるのも当然の事。





ハナから「高み」にいるもんは、

あんまり流行る事もない。



仮に流行っても、

廃れる事なく残っていく。

世の中で廃れたと言われても、

その「高み」の高さ自体は、

流行る前も後も同じ姿を残す。



低い位置にいるもんを、

無理矢理、上まで上げちまうから、

あっという間に落ちていく。



結局は裏で金が動いてるだけ。



取り繕われたもんに、

いとも簡単に群がっちまう方にも問題はあるが、

情報操作なんて、下手したら

どこぞの宗教のマインドコントロールなんかよりも、

よっぽど恐ろしい事やってんのかもよ。



どうせ流行るんだったら、

もっとマシなもんが

流行ってくれねーもんかなと思う。





マシなもんって何かって?

少なくとも、

金目当てじゃねーものなんじゃねえの?





…今日はちょっと乱文だね。

って、いつもか(笑)。





やっぱ最近、乱れてるよなー。

気をつけよと。







書 ROJIN

どこかへ出かけるにしても、


一緒に行く人、その場を共有する人によって、


楽しみ方が違ってくる。








今日は京都は嵐山まで、


紅葉鑑賞の日帰り旅行。




まーた何で俺も、嵐山なんて所を選んじまったのか、


日帰りの上に、あっちに行ってもこっちに行っても人混みばかりで、


望んでいたゆるりとした時間は、そこには、ない。






新宿駅ほどじゃないが、それなりの人混みが出来ていて、


飯を食うにも待たされる始末。






何かね、紅葉よりも人混みを味わった気分。


誰か、静かに紅葉を味わえるような所、知ってたら教えてください(笑)。








たとえ人混みの嵐山でも、それなりの人と行ったり、独りで行ったりして、


それなりの思い出でも作れればそれも良しなんだが、


今回はちょっとねぇ…


どちらかと言うとねぇ…


山の静けさを楽しめるような所に行ったほうが、


選択としては正解だったようなねぇ…








まー、それも、最近の自分の選択のセンスの無さが


表に出ただけのような気もするけどね。






ということは、


やっぱり悪いのは俺か(笑)。








ま、行ってみなけりゃわからない、ってか(笑)。







笑って誤魔化して…いやいや、


笑って受け止めて、


それも良しとしましょう。








あー、紅葉楽しみたい(笑)。












書 ROJIN

不出来なもの。







「不出来である」とは、一体どういうことだろう。







人それぞれに何かしらの基準があって、



それに満たなかったり行き過ぎたりしていれば、



「不出来」ということになる。











俺も何かに対し「不出来さ」を感じることはある。





だけどもたかだか俺の基準。



それがいいとも、正しいとも限らない。











反対に「優れている」とは、どういうことだろう。





何を持ってして、人より「優れている」と位置づけるのか。













「優れている」も「不出来」も、



所詮は人の社会の価値観が生み出した、ただの「位置づけ」。



本来、良いも悪いもないのかもしれない。










「優れている」とは「優しい」と書く。









大昔、まだ人が狩りをして生きている時代、


他の人より多く獲物を獲れる人を「優れている」と呼んだのかもしれない。




優れていれば、多く分け与えることが出来る。


分け与えるその人の事を「優しい」と呼んだのかもしれない。








それもそのときの社会が生み出した価値観かもしれないが、


今の時代の「優れている」って意味合いよりは、よっぽど「優しい」よな。







まあ、こんな時代だからこそ、


不出来さや劣っている人の中に「優しさ」を見つけられるのかもしれない。


「優っている(まさっている)側」の人たちがそうじゃなくなった分ね。




そーいやー、「勝っている(まさっている)」はよく書くけど、


「優っている」とはめったに書かないよな。






優れている人は、その能力の分だけ、


人より余裕がある。


その余裕の分を、人に分け与える。










「優しく秀でる」、「優しさに秀でる」と書いて


「優秀」。




だとしたら、勉強が出来るとか、一流と呼ばれる会社に勤めることを


「優秀」とは、決して言わないよな。




現代は、明らかに「勝る」事を「優秀」と呼ぶからね。「優る」じゃなくて。




なんなら、いっそのこと「優秀」も「勝秀(しょうしゅう)」とかに変えたらどうかね?


「消臭」したほうがいいっていう(笑)。


いろんな意味で(笑)。







現代社会の「優秀な人」になんか、ちっともなりたかねーけど、


本当の意味での「優秀な人」だったら、少しはなりたいかもな。




ま、おれには無理か(笑)。











何を持ってして「優劣」を付けるのか。


そんなとこにも、人の「品」ってやつが出るかもしんないね。















書 ROJIN

料理のまったく出来ない兄貴が、


晩飯に、具無しの味噌汁を作った。




俺にそれを食べる勇気は、当然、ない。(笑)




飲んだ兄貴が一言。


「やっぱ、具が無いと味気ねえな。」




当たり前ぇだろ(笑)!








とはいえ、


そんな具無しの味噌汁を見て、


思ったことはある。




何かね、似てるなと。


同じだなと。






毎度の話みたいになっちゃうんだけどさ、


人間関係とか人もさ、味噌汁じゃないけどさ、


生きた野菜を入れるから、それなりの味が出てくるように、


生きた行動とか考えとかがあって、


「味」が出てくるもんだなーと。






何にも無かったら、「味気ねえ」なーと。


工夫が無かったりしたらね。






職人さんなんかでも、「生きた技」とか工夫があって、


はじめて「味」のある作品、物が出来るっていうか。




芸術でも、「生きた何か」があれば、


技術は無くても「味」は出てるかなーとか。






「生きてる」って大切だなーと。


人も、生き生きしてる人のほうが、


何か「味」があるしね。








死んじまったら、どうにもなんないっていうかね。








出来ることならば、日々を生き生きと暮らし、


ちょっとでも「味」のある人でいたいもんだよね。















・・・この話、無理やり過ぎたかな?(笑)















書 ROJIN

ふつうに生きてりゃ、

たまには嫌な事もある。



自分の出来なさ加減に

憤りを感じる事もある。





「やってらんねえや」と投げ出すよりは、

嫌な事が起きているという事を

楽しめたらいいよな。





そう思ったら、

何だかホントに楽しくなってきちまった(笑)。





・・・・・・





俺ってヤッパおかしいのかね?(苦笑)





とはいえ、悪いって事は、

まだまだ良くなる可能性があるって事だからね。





ま、楽に行こう!(笑)







書 ROJIN

「今あるものを大切にしよう」






先の事がわかるわけでもないし、


未来に絶対など無い。


さりとて、俺たちは過去に生きてるわけでもない。






大切なものは「今」にある。


「自分らしさ」も「今」の中に。






「今あるものを大切にしよう」




今日はそんな一日でした。












書 ROJIN

仕事で岐阜の山間の工場まで出かける。




仕事だから、あんまりのんびりとは出来ないんだけど、


しばし、山の景色を楽しむ。




間違った知識だったかもしれないが、


山の木々は自然のままでいると、自然に生き永らえるのだが、


一度、間引きなどして、人が手を入れてしまうと、


手入れをし続けなければ、山が死んでしまうらしい。







人間も同じだと思った。






自然のままでいられたら、きっとそのまま生きていただろうに、


一度誰かが手を入れてしまったために、


手入れをし続けなければならなくなった。






それが“文化”ってやつなんだろう。






赤子も同じように、生まれたときは自然のまんま、


母親の乳さえあれば生きていけるが、


大人になるにつれて、人の手が入った“文化”“文明”に触れることにより、


携帯や車、時計やテレビなしでは生きられなくなっちまう。








不便さをなくす為に作っていたはずのものが、


今度は、「ないと不便になる不便さ」を生み出している。










おかしな話だね。










自然のままが良かったかどうかなんて、


今更わかるはずもない。








答えなんかないし、


なくていい。








自然界は弱肉強食。


弱いものは喰われ、強いものが残る。






もしかしたら人間は、


その摂理に抗った、唯一の動物かもね。








人間だけが、唯一“共存”を求めた。









だからもしかすっと、人間が一番優しいのかもよ。


この地球上で。








まー、悪いことのほうが多いけどね(笑)。








書 ROJIN


心の平静。








騒がしい日々の中に、


時間を切り離したかのように、


静かな時間が流れる。








眠りにつくまでの、たかだか5分か10分。





日々が騒がしければ騒がしいほど、


その時間がなおさら静かに聞こえる。












静けさが、心の隅まで、


響き渡っていく。












自然の山ん中にでも行きゃあ、


たやすくそんな時間に出会えるんだろうが、


そんなヒマはない(笑)。










だからこその大切な時間。










心の平静を保つ為に、


眠る前に一日の自分を振り返る。










おかしい自分に気付いたら、


そこで戻しゃいい。






いい状態でも、


一度静かになって、


元に戻す。






明日の事なんて、わかんないからね(笑)。











秋は蟲たちの声が心地よくて、


より一層、心を静かにしてくれる。










・・・俺は修行僧か?(笑)












ま、人それぞれのやり方があるんだろうけど、


俺にとっちゃ、眠る前の数分。












今夜も蟲たちの声が心地いい。













深い眠りにつけそうです。













書 ROJIN

こんな俺のブログを、


毎日、見て下さっている方がいるようです。




意味の無い、ともすれば、見苦しい文面ではございますが、


たとえ少数でも、楽しんで?頂けているのなら、


書いている意味は少なくともありそうです。






感謝です。







少数派。


この“アメブロ”は、世間一般、ブログの世界では“多数派”。




それぞれにそれぞれの良し悪しがあるけれども、


中身があるなら、少数派でも多数派でもいい。




増えていけば、自然と薄まってしまうものだとは思いますけど。




少なければ、それを作る要素が少ないから濃いままでいられる。


多くなれば、それを作る要素も増えるから自然と薄くなる。




それでも濃いままでいられたら、それが“カリスマ”と呼ばれてみたり。






「大は小を兼ねる」


俺、この言葉キライです(笑)。







ウソじゃねえかと思うもん、マジで。


小があるから大になるわけでしょ?


小がなければ、大もない。





だから、“機能美”でいったら、小のほうが長けているよね。


大は“力”。





美意識がなけりゃ“機能美”にはいかないよね。


どーしたって、“力”の方に偏っちゃう。




結局それが、我が日本。


何かしら“大国”って呼ばれる国は、だいたいそうでしょ。


“力”は持ってるからね。




“小国”だった頃の日本には、


もっと美意識あったと思うんだよなー。







多数派になったとしても、美意識は持っていたいよね。






「大局を制したくば、小局を見よ。」


そんなような言葉がどこかにあったような。


これこそが、多数派でも美意識を失わない精神ですよ。




そーいやーこれも、昔の日本の言葉だな(笑)。





ま、大事なのは、どちらにも偏らないことですね。


精神的にはね。


物理的には、どちらかになっちゃうんだろうけど。








なんか、話がよくわかんないほうに流れちゃいました。


やっぱ、夜中にブログなんて書くもんじゃねーな(笑)。


読む人また減らなきゃいいけど(笑)。






なにはともあれ、見てくださっている方、


本当にありがとうございます。




見苦しいブログではございますが、


もう少し続けて参りたいと、思っております。








書 ROJIN