Recover my heart, change the world. -2ページ目

Recover my heart, change the world.

日々の思想、小説、詩、エッセイ、悟り、妄想、体験、揺れる気持ち、音楽など、私の表現です。


ずいぶんと時間を無駄に為てきました。

ずいぶんと人に迷惑を掛けてきました。

私が生きていることで誰かを笑顔にしたり元気にしている瞬間もあったけれど、

果たしてそれは今も継続されているだろうか。

俺は俺であることに疑問を持ち、

少なからず現状を変化させていこうとする。

やがて世の中には上手くいかないことが存在するということに気付きはじめる。

世間を傷つけてしまった分、俺は俺で自分を傷つけ続ける。

己に懺悔の杭を心臓や臓器がぐちゃぐちゃに崩れ、原型を成さないほどのイメージで打ち続ける。

そうして己にたまった悲しみ・痛み・憎しみを、他の表現方法へと昇華させる。

人間は孤独なのだと、気付かされる。

向かう先が破滅であることが免れなかったとしても、

人生が終わってしまうコンマ一秒手前まで後悔の無い人生を送りたい。

自分が生きていることで他人が生きている様なフィーリングを感じていたい。

漠然とした不安と後悔が俺の心にしがみついていて、それがアンモラルな行動を量産する。

もうやめて、もうやめよう、もう終わりにしよう。

それで楽になれる。

幸福と不幸は紙一重。

結婚も離婚も流産も葬式も

矛盾を視点ずらせば合理的。

ボサノヴァ空中分解

呑み過ぎて後悔後に経たず

あと一歩踏み出せば黄泉の国

本当に、それで、終わっていいのか



そう。

そうだった。

私は。



全ての、

恩返しと、懺悔の意を込めて、

私は自殺をせずに生き残って、表現してみせようじゃないか。

自分の生き様を。この表現を。私が生きているという証明でもって。

私は、生きている。

生きているからこそ、表現するのだ。

ドレミファソラシドの他に音階があったとしたら、どうだろう。


出会いが無いと、あなたは言う。

時間が無いという、理由のせいにする。


自分のことを褒められたくて、認めて欲しくて。

自らが思っているよりも果てしなく、

人間は自分のことが大好きで可愛そうで大事なので、

それがほんの少し表面化しただけで安心し、

喜んで「ナルシスト」とターゲットを蔑む行動を起こす。


実力や成果を発揮できない理由を、社会やシステムのせいにする。

怠惰な筋肉運動と思考回路の繰り返し。


世の中を美しく生きて行くために必要なのは、


自分のスタイルを確立する。

常に自分のフィールドで行動する。

アイデアを表現する。


人生を盛り上げる為に必要なのは、

人と人の成り立ちであるこの社会の中であって、

自分一人で最初から最後まで完結するものは自慰行為以外無いのであって、

少なくとも人の全行動は、何かしら他人にコンタクトする。

それで他人が自分のことを見ているとして、

当然人それぞれの欲望があるので、

自分にも欲望が存在し、その自分を見てくれている人も欲望がある。

平たく言えば、欲望のコントロール。

フェチズム的な概念はとりあえず現段階では排除し、

人間の本能的な、本質的な欲求であり欲望であり煩悩を、コントロールする。

コントロールといっても洗脳のことでは無く、

結局自分の欲望を満たそうとする行為は、他人のそれとあまり大して変わらないのであって、

その表層形態が微妙に異なっているだけである。

その欲望が満たされるのを、ギリギリまで我慢する事によって、快楽が生まれる。


それを、現在各々が行っている活動に組み込んでいけば、いい。

究極的に突き詰めれば神聖化される。
本当に必要で、

本当に探している時に、

それは見つからない。

それは見えなくなってしまっている。

それは小人達に隠されてしまっている。

それは神隠しにあっている。

これは自らの脳内映像が偶像を創り上げ、それを現実へ再現させようとしている行動。

所詮妄想や創造物と、現実に存在しているものやことは微妙に異なっている。

その微妙加減を出来るだけ少なくしていく作業のことを創造と言っても差し支えないだろうか。