死にたい。
死にたい。
死にたい。
と文字にしても、訴えていても、衆議院選挙に出馬しても、
テレキャスターの音の残像の、弦達が減衰していく記憶には程遠い。
本当に死にたい気持ちになるんだろう、byタテタカコ。
例えこの私が死にたいと活字にしたり、言葉に出したところで、
現実的には何も行われないのであって、私がその行動を実行した所で、
キープできたところで一週間くらいの世間体反応なのです。
肉親や知り合いの心に、深い傷をきっと残してしまう結果。
私が生きた証。なんちゃって。
私は他人を悲しませたりしたくは無い、どちらかというと楽しくさせたい。
でも、現実的にそれは至っていない現状。
私は、何をしていかなければいけないのだろうかという現状を社会と常々交渉しながら探る日常。
いい加減疲れる日常、しかしながら逃れられない。
レールの上を外れるには、相応の勇気と行動力が要る。
何がしたい。
何がしたい。
何がしたい。
何が出来るのか。
キーボードと躯体とネットワークをやっと駆使して文字に残すことが出来る日常。
所詮アンサンブルという名の即興を演じる日常。
他の人に頼らなければ自分では何も出来ない日常。
いっそ無くなってしまえば、全て楽になれると思ってしまう日常。
自己満足だけを達成する日常。
臭過ぎる日常。